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地上四十二階から見下ろす夜景はいつもと変わらない。底辺で蠢いている連中が見れば漆黒のビロウドに捲かれた宝石のようだと感嘆の声を上げるだろうが、とっくに見飽きた。
景山正義はすぐに正面にある大きな窓から目を逸らし、受付の男に眼で合図する。
男は個室のカードキーを恭しく差し出した。
深夜の二時。
ロビーに人影はいない。
だが景山が歩き出すと、ソファで本を読んでいた年輩の男が立上がった。
男は景山の前を歩き、個室に入る。
その前を通り過ぎ、ルームナンバーを確認した。
分厚いベージュの絨毯を踏み、自分のカードキーを使って個室に入る。
パソコンの載ったデスクへと近寄った。
週に三回、この会員制ライブラリを使用している。
二十四時間利用でき、プライバシーの保護もまあまあだ。
「なんという逆説だ……」
くすりと皮肉な笑いが唇に浮かぶ。
警察組織に属する自分は常に周囲から自分を護らねばならない。
どこにいても監視の目がつきまとい、どんな些細なミスも命取りに成りかねない。
周り総てが敵なのだ。
ピラミッドの頂点を目指すためにはやむを得ないことだが。
ライブラリの個室間のIP電話は傍受することがほとんど不可能だ。
景山はそのために利用している。
ここまでやる必要はないのかも知れなかったが、携帯の着信履歴すら筒抜けになってしまうようでは、用心に越したことはない。
「景山さん、まずいことが起こりました」
「話せ」
通話が終了すると景山は細い眉をひそめ、人指し指で頬を押さえる。
あの男に首を突っ込んで欲しくはない。
由岐中助。
いっときだが少なからず愛さえ感じた男だ。
もちろん飼い犬に対する愛情のようなものだが。
「あのころも馬鹿な男だったが、相変わらず馬鹿な男のままだ……」
出世が閉ざされると明らかに判るのに、信念を曲げない。
どころか、愚かにも正義感だけで行動する。
それも愚直なまでの正義感で。
景山は深々と革張りのデスクに背をもたせかけた。
眼を瞑ると細い指でこめかみの辺りを揉む。
『あの男もよく疲れたというとこうやって……』
また皮肉な笑いが浮かんだ。
「これではまるで、別れた恋人のことを想っているようではないか」
そんな感情ではない。
それは例えば、自分の家から逃げ出した犬が、道端でごみ箱を漁っているのに出くわしたような、いわば憐憫の情に近い。
「私のところにいればずっといい思いができたのに……」
ユキは可愛い奴だった。
歯向かいさえしなければ、今も可愛がっていたのに。
景山が由岐中に出会ったのはもう六年も前だ。
そう、史上空前と言われた地下鉄テロ事件の数年後のこと。
あの事件で景山は警察官僚を目指すと決めた。親しくしていた東大の先輩が事件で不慮の死を遂げたのだ。
尊敬している男だった。
なんという無意味で不条理な死だろう。
ただそこに居合わせただけで、これから日本の将来を背負って立つような優秀な人間が人生を奪われるなんて。
しかも無知蒙昧な愚か者どもに。
彼の無念を思うと今でも鳥肌が立つ。
こんな事ではいけない。
命には優先順位があるのだ。
生きる価値がある人間は優先的に生かされねばならない。
その代わり、選ばれた人間は地表に蠢く矮小な生き物を幸せに導いてやる義務がある。
そのためにこそ「noblesse oblige(高貴なる義務)」という言葉があるのだ。
そのとき大学二年だった景山は、亡くなった男と一緒のゼミで司法試験を目指していた。
権力にはもともと、魅力を感じていた。
だが判事になってどうなるというのだ。
確かに法廷では全能だ。
しかしその権力はたかだか被告席に座っている人間に及ぶ程度だ。
では検事は。
無能な警察に腹を立て、カチコチの世間知らずの判事が出した判決にほぞを噛む。
そんなことに生きがいがあるとは思えない。
弁護士などもってのほか。
どうみても有罪の連中をなんで弁護するのか。
正義はどこにあるのだろう。
翌年、首尾よく司法試験は受かったが、景山は研修を受けるつもりはなかった。
まず、アメリカで行われるとあるプログラムに申し込んだ。
民間の会社が組んでいるもので、企業のトップエリートを対象とした色々なコースがある。
誘拐・監禁された場合身代金が支払われるまで犯人グループといかに過ごすか、とか、グループ内にライバル企業への内通者がいる場合どう対処するか、など、主に危機管理の教育プログラムだ。
景山が選んだのは高地コロラドでの六週間に渡る過酷なサバイバル体験だった。
FBIや海兵隊出身の教育係と十数人の参加者とともに山岳地帯で訓練を受ける。
自分の限界を知りたいために参加を決めた。
日本人はもちろん景山一人。
男だけでなく企業のトップにいる女性もいて、同じメニューを消化した。
大学に入ってからこっそりマーシャルアーツの道場に通っていたので体力にはかなり自信があった。
だがそのプライドは見事にうち砕かれた。
それでも一種の快感を景山は味わった。
「人間はかくも弱いものか」
厳しい訓練に大の男が反吐を吐き、泣きじゃくる。
自分の情けない姿に怒りを爆発させ、子供のようにすねる。
黙々とメニューをこなすのは概して女性で、意外に女のほうが打たれ強いのだと景山は知った。
キャンプではフリーセックスで、人間は限界に置かれると動物の本能を取り戻すようだ。
男も女も構わず交わった。
単にストレスを解消するための行為で、ジョギングとさほど変わらない乾いたものだった。
そこで男の味を覚えた。
大学時代から性的欲望が同性に向けられている自覚はあったが、司法試験を目指し勉学に勤しんでいる間は試す暇がなかった。
今回、男と寝てみて自分の性嗜好は同性だと確信した。
今までも異性とセックスをしてそれなりに快感を得ていたが、同性とのセックスはかなりよいことが判った。
しかも景山はセックスにおいて自分が相手を支配する確率が高いことを知った。
そのことも収穫だったが、参加して得た最大の成果は怒りを制御するするすべを学んだことだった。
「怒りを感じる動物は人間だけだ」
訓練の最中、元海兵隊の教官が吼えた。
「怒れ。
怒りのエネルギーは何よりも大きい。
おれに対して怒れ。
おれを憎め。
おれを見返してみろ。
そうやってゲットーから生還した連中は沢山いる」
教官は腕立て伏せの途中で倒れた景山の髪を?み、引き起こす。
「だが怒りで理性を曇らせるな。
そんなのは愚か者がすることだ。
瞬時の判断に感情を交えてはいけない」
怒りを覚えると、そのたびにあのコロラドのキャンプを思い浮かべるようになった。
真っ青に晴れ渡った空。
高地ならではの濃い青だ。
最後の日、教官はその空を指さした。
「昔、この辺りには結核患者の療養所があったのさ」
治療薬のなかったほんの五、六十年前は空気のよいところで静養するしか助かる道はなかったのだ。
それで高地スイスと同じに療養所が建てられていた。
「OK牧場の決闘、知っているだろう?
あのドク・ホリディもコロラドの療養所に入っていたのだ」
そういうことなのだ、英雄でさえも。
肉体はかくも弱い。
鍛え上げた男でさえ、より強い力には太刀打ちできない。
当たり前のことだ。
では真の力とは。
帰国して景山は国家公務員試験T種を受けると父親に告げた。
「法曹界を目指すのではなかったのか」
意外だ、と父親の目が言っていた。
「ぼくはねえ、それなりに正義というものを考えているんですよ、お父さん」
「ほう、どういう意味だね?」
「地下鉄テロ、あれは初動捜査のミスでした。
最初から奴らを締め上げていれば、あれほどまでの惨事を起こさなかったはず」
「それはその通りだなあ」
「ですが、彼らに罪はありません」
父親は怪訝な表情になった。
景山は肩を竦める。
「罪を犯させたのは言い換えれば警察機構です。
放置していたがために、彼らは極刑に値する罪を犯してしまった。
可哀想に、もっと早く捕まえてやれば、あんなことにはならなかったでしょう。
軽微な罪を厳しく取り締まることが、犯罪者にとっての幸福なんですよ」
父親はパイプに煙草を詰めながら息子の顔を見上げる。
「今の警察なんか犯罪抑止には役に立ちません」
「それでいてなぜ警察庁を目指すのだ?
T種だったら財務・産業通産あたりが人気だろうに」
景山はいいえと首を振った。
「ですからぼくが警察を叩き直すのですよ。
怠慢な警察機構にメスを入れる。
そして犯罪者の取り締まりを厳しくする。
それが最終的には奴らのためにもなるのです。
ぼくはいわば慈悲心から言っているのですよ」
そこまで考えているのなら、と父親はパイプの吸い口をくわえた。
「まあ、お前が決めたのなら反対はできないなあ。
いいんじゃないか」
「そうですか。
受験前ですがすでに警察庁を廻っていますので、お父さんが反対しても関係ないのですけれどね」
三男ともなれば、何をしようと勝手だ。
父親は息子と同じように肩を竦めた。
それでも「私の知り合いがいるよ」と言葉を繋ぐ。
「お父さんの知り合い?
警察庁にですか?」
ああ、と父親はうなずく。
「だいぶ私より上で、もう退職したが、刑事局長にまで行ったからね。
もうその上は次長と警視総監・警察庁長官しかないから、かなり出世した方だろう」
「へえ、それはすごいですね。どなたです」
父親は一人の名を告げた。
そして付け加える。
「残念ながら子供は三人とも娘でね。
全然畑の違う男と結婚したと零している。
だが確か、甥が警官になったとか。
随分と喜んでいるよ。
なんでも優秀な刑事で、さすが血は争えないと言われると嬉しいらしい」
景山はその名も記憶に刻み込んだ。
警察大学校へ入学すると、三ヵ月の初任幹部課程教養という講座を受ける。
朝からそれこそ深夜まで多量の知識を流し込まれたが、司法試験に比べればなんのことはない。
同期の中でも景山の優秀さは際だっていた。
さらにいつの間にかアメリカで特殊訓練を受けていたことが知れ渡り、教官にも一目置かれるようになっていた。
「期待している」
何度かその言葉を掛けられた。
異例のことだった。
そして。
かねてから希望を出していた通り、喜多見署で実務研修を受けることになった。
由岐中を使命したのはさほどの目論見があってのことではない。
ただこの世界は人脈が必要だと、警察大学でも散々言われていた。
人脈とはすなわち情報であり、巧く自分の人脈を作り上げることが成功への鍵だ。
それは捜査畑でも公安部でも同じなのだ。
碁を少しばかりたしなんでいる景山は初手の白石に由岐中を当てることに決めた。
これからは多くの捨て石が出てくるだろう、そんな風にも思った。
…………
過去に想いが彷徨っていることに気づき、景山は顎の下で組んでいた細い指を解く。
由岐中が○龍組を探っている。
情報提供者からの連絡があった。
「どこから感づいたのだろう……」
由岐中は今、六本木署だ。
あそこの暴力団係は強行犯係に一斉の情報を漏らしてはいないはず。
そして大坪は由岐中が六本木署にいることなど知らないのだから、相談をしたなんてこともあり得ない。
だが由岐中だったら気づくことは十分あり得る。
手を回して六本木署から移しておけばよかった。
今さら遅い。
「ぼくとしたことが……」
景山は唇を噛む。
「面倒なことになった……」
この計画は遙か昔から練っていたもの。
二年間、県警本部警備課長を務め、続いて北海道の小さな所轄署長を二年。
これは粛正を命じられてのことだ。
そこで問題になっていた「参考人呼出簿偽造」スキャンダルを徹底的に潰した。
当時の所轄署で副署長を務めていたのは、本庁警備部参事官の恩師で、定年間近だった。
大過なく副署長は定年を向かえ、地銀に天下っていった。
そのあと、道警の一大スキャンダルが明るみに出たのだ。
参考人呼出に支給される日当や旅費を遊興費に利用したという、いわゆる裏金造りのスキャンダルだ。
景山は参事官に感謝された。
もちろんその感謝には「褒美」を伴っていた。
希望通りに四課課長となった今年こそ、実行の年と周到に準備を進めていた。
四課には二年いる予定だ。
そのあとはパリ留学が決まっている。
インターポールの国際テロ対策課だ。
今年がチャンスなのだ。
すでに三ヵ月前から四課では一斉の段取りが進んでいる。
今さら齟齬を来たせない。
それでもなにやら唇の両端が持ち上がるのを景山は自覚していた。
「それでこそユキだよ……僕が期待していた通りだ」
頑固でねばり強くて、決して狙ったものを逃さない猟犬のような男。
理想の部下だった。
セックスの相性もまあ良かった。
だが今はもう、邪魔者でしかない。
四課には知らせておかなければ。
腕時計を確認する。
景山は内ポケットから携帯を取りだした。
「私だ」
<言わなくても判りますよ、こんな時間にかけてくるのはあんたぐらいだ>
眠そうな声が返る。
四課の巡査部長、真壁勇。
景山が道警から引き抜いた男だ。
道警の四課で十年。
限りなくグレイゾーンに踏み込んでいるという噂だった。
同僚からは蛇蝎のごとく嫌われている。
そういった男こそ使いでがあるのだ。
「もうじき道警は大変なことになる」
二年前、景山は真壁を呼び出して告げた。
「同じ課に十年いた君は、多分僻地の交番当たりに飛ばされるだろうよ。
私と一緒に来ないか」
このままいれば君の悪行は暴かれるだろう、と付け足した。
真壁に選択の余地はないと言ってもいい。
たとえ出向という形でも天下の警視庁なら渡りに船だった。
密会の場所を指定し、景山はフラップを閉じた。
六本木交叉点近くのステーキハウスに景山は足を踏み入れた。
二十四時間営業の店で、しかも台湾資本だ。
台湾系のマフィアと繋がっていて、日本の暴力団関係者はここではおとなしくしている。
四課にいる景山にとっては都合のいい店だ。
個室にはK1グランプリ出場選手のような男が待っていた。
大きな手でビール瓶を掴み、ラッパ飲みする。
「真壁君、あまりこういったところで下品な飲み方をしないほうがいいよ」
真壁は血走った目を景山へ向ける。
「ススキノとは違うってか?」
「そうだ、これからも私と一緒にやっていくのだからねえ」
真壁は肩を竦めると瓶を卓に戻す。
景山を眺め、太い眉をひくりと動かした。
「あんたが笑ってるときはたいがい面倒なことを考えてるときだな……こんな時間に呼び出すって、また何かさせようってのか」
「そうだね」
景山の前にワイングラスが置かれる。
とぽとぽと真っ赤な液体が注がれた。
「ちょっと乱暴なやり方でお願いしたいんだ」
真壁は呆れたという顔でビール瓶に手を伸ばす。
「おれの知り合いにまた頼む気か?」
いやいや、と景山は首を振る。
「ショカツの奴にちょっと警告して欲しいのだ……君たちのやり方でね」
真壁は再び眉を動かした。
「まあ、いいだろう。
一斉を前にストレスが溜まってる連中がいるからね。
喜んでやってくれるだろうよ」
グラスを回して香りを楽しんでいた景山はにっこりして手を止める。
「真壁君、君は同僚の怒り煽るのが上手い。
きっと上手くやってくれるだろう」
もちろん、と真壁は景山を見つめる。
「で、誰だね。
あんたの邪魔になってる奴って」
一口味わうと、景山は控えているボーイにうなずく。
真壁に視線を戻すともう一度にっこりした。
「由岐中。
六本木署の強行犯係だ」
ボーイがローストビーフの塊の載ったワゴンをい押してくる。
「真壁君、君もお相伴するかい?」
「もちろん」
真壁はさっさとナフキンを取り上げる。
「俺を呼びだしたってことは、邪魔な奴の名を挙げるだけじゃないんだろ?
あんたに付き合うには肉の塊でも食っとかなきゃな」
景山は真面目な顔で自分もナフキンを取り上げた。
ボーイに合図を送る。
「そうだね、じゃあこの男には三人前切ってくれ」
東中野の住宅街は静まりかえっている。
黒いディアマンテはエンジンを止めていた。
鬱蒼とした木立が築地塀の向こうに見える。
「○龍会ではなく、義○組を訪ねるとはな……ユキはいつも僕の予想を超える」
携帯が震動し、景山は耳に当てる。
<出てきました。二人ですが>
『二人?』
確か相棒はヘルニアで入院中のはず。
誰か代わりに相棒を務めているのだろうか。
「同じショカツの奴だろう、構わない、一緒にやれ」
携帯を仕舞うと景山は運転手に「出せ」と命じる。
「あの角で停めろ」
リヤシートの窓を降ろし、景山は暗がりに目を遣った。
唸り声と鈍い音が耳に到達する。
人間を殴っている音だ。
この音を聞くと身体が歓喜に震える。
怒っている人間を見ることが好きだった。
こいつはその怒りをプラスにできるのだろうか。
景山の位置までその怒りのエネルギーで這い昇ってくる根性があるかどうか。
飼い犬に相応しいかどうかそうやって見分ける。
その目的もある。
「ユキ、お前はどうなんだ……もう一度、ぼくのところまで来る根性があるのなら……」
眼を懲らすと、見覚えのある大柄な男の身体に隠れ、小柄で痩せたスーツ姿の男がいることが判った。
遠目で人相は判らない。
小柄な男は地面に引き倒され、四課の刑事に殴られている。
ふいに大柄な由岐中がその男に覆い被さった。
「なに……」
全身で小柄な男を庇っている。
「相変わらずだ……」
景山は眼鏡を外すと胸のポケットに挿す。
「そうやってぼくのこともしょっちゅう庇っていたな、お前は……」
目の前に飛んだ血しぶきの記憶が蘇る。
そう、あれは喜多見署でのこと。
となりの狛江署に捜査本部が立ち、喜多見署からは五人が参加した。
交番の巡査がショクシツをかけた途端、サバイバルナイフで腹を刺されたという凶悪事件だった。
容疑者の潜伏先をつきとめ、バックアップと共に突入、しかしもぬけの空だった。
そこから引き返す途中、ふと立ち寄った工事現場に容疑者が潜んでいた。
バックアップとはすでに別れており、由岐中と景山二人だけで追った……。
「景山さん、危ない!」
由岐中の声と共に弾き飛ばされ、同時に分厚い胸に抱かれた。
そして血飛沫が上がったのを見た……。
由岐中が自分のために負傷したこと、そのことに感慨はない。
部下は上司を守るものだ。
だが警察病院の救急室で外科医が傷口を縫合しているところを見たとき、心が震えた。
傷は筋肉層まで達していて、白い真皮の間から薄赤い筋肉が見えた……。
それ以降、セックスが終ったあと傷痕を舐めるのが癖になった。
由岐中を俯せにさせ、上に載る。
汗ばんだ広い背中に頬を付け、舌を這わせる。
左の肩甲骨の下。
横に走った白い線に。
あれは家畜の尻に刻んだ烙印だ。
そして景山一人のものなのだった。
景山は眼鏡を再び鼻の上に置く。
「久しぶりに顔を拝みたくなったな……」
たまにはいいかも知れない。
昔の男に会うのも。
そしてあの傷痕を舐めるのも。
「出せ」
運転手がうなずく。
「どちらへ?」
「六本木だ」
ディアマンテは静かに滑り出す。
景山はリヤシートに背をもたせかけ、由岐中の顔を思い浮かべる。
細い指で両端の持ち上がった唇をなぞった。
終
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