| 「啓ちゃんの優勝を祝って!」
松浪の母・優子の明るい声が響く。
ポンという音とともにシャンパンの栓が抜かれた。
松浪家の食堂で、その夜は祝賀会となっていた。
テーブルには伊勢海老やら鯛・アワビなどの活け作りが並び、たった今、大きなローストビーフの肉塊が厨房から運ばれてきたところだった。
おもむろに父の慶祐が金色のカットナイフを手に立ち上がる。
肉のカットは当主の仕事だ。
慶祐がローストビーフを切り分けるのを見ながら祖父の俊英はグラスを持ち上げた。
「これでいよいよ、競技会に復帰するんだろう?」
上機嫌で尋ねる。雨宮が首を縦に振るのを確認し、にっこりした。
「雄祐、一緒にオリンピックを目指すのもいいだろう。そうだな、またサンダーブレイズに匹敵する良い馬を飼おう。どうだね、啓君、なんでも言ってごらん?」
松浪は曖昧に笑う。
「どうした、雄祐?」
「い、いや……俺もさ、さっき、啓が優勝したら何でも言うことを聞くって約束したんだ」
隣の席で静かにシャンパングラスを傾ける雨宮に視線を移した。
「何がいいんだよ、啓」
「それは……ゆっくり考えますよ」
雨宮の返事に松浪は胸が騒いだ。
雨宮が優勝したのは嬉しい。
それと、競技会に復帰したのも。
それとは別に、不安が胸に湧き上がっていることは事実だった。
『もし……またイギリスに乗馬留学したいと言ったらどうしよう』
乗馬クラブのパーティで山岡という雨宮の父の友人がそう申し出たっけ。
「私の貿易会社の派遣社員として、乗馬留学をさせたい」
そのこともあって、自分は雨宮にひどい仕打ちをしてしまったのだ……。
『でも……啓が望むなら……やっぱりその方がいいに決まってる』
離れるのは辛いけれど。
自分の傍にいて欲しいけれど。
でもオリンピックを目指すなら、留学した方がいい。
『それでいい……俺は……啓が幸せなら』
そう……ベッドに寝ていたとき、一度だけ聞いた言葉。
「雄祐、お前を愛している」
その一言で生きていける……。
松浪はぐいとグラスを傾け、シャンパンを飲み干した。
わざと明るい顔をして、雨宮の顔を覗き込む。
「なあ、なんでも言えよ。欲しいもんはなんだ?」
雨宮はまた静かに微笑む。
漆黒の瞳で松浪をじっと見た。
「あとで……お前の部屋に行く。その時言うよ」
「あ、ああ」
今は言えないということは……。
『やっぱり、この家を出ていくのか……』
激しく痛む胸を抱えながら、松浪は親指を立てた。
「オッケー、待ってるぜ」
久しぶりに飲んだ酒が回って、松浪は自分の部屋に引き上げるとベッドに倒れこんだ。
退院してからはだいぶ経つが、このところ酒も女も控えている。盛り場へ楽しみを求めて出かけて行くことも久しくなく、
「なんだか修道僧みたいだなー」
真面目に経営の勉強をし、時々乗馬クラブに顔を出して馬に乗る、といった毎日だ。
雨宮とはよく話はしていたが、みな、今日の競技会へ向けての練習についてだ。あれ以来、病院で聞いた一言については二人とも避けていた。
隣からは物音一つしない。
元々留学中の妹の部屋で今は雨宮が使っている。
待ちくたびれて松浪はシャワーを浴び、パジャマに着替えた。ついでに戸棚からウィスキーの瓶を取り出す。
壁を隔てた隣で雨宮が寝ているの感じ、悶々としながら寝酒を煽った夜もあった。
思い出し、口をつけてラッパ飲みする。
『あいつがイギリスへ行きたいといったら笑って送り出してやろう……』
『そう、何十年も行くわけじゃない、せいぜい次のオリンピックまでの三年ぐらい……』
頭の芯がずきりとして、松浪は五分刈りの頭に手をやった。
「ああ、くそ……」
酒瓶をサイドテーブルに置くと、ベッドに大の字にひっくり返る。
天井を見上げ、深く溜息をついた。
と、密やかに扉を叩く音がする。
「……雄祐」
音もなく扉が開き、バスローブを羽織った雨宮が入って来た。
「あ、ああ、来たのか、そこに座ってくれよ」
「雄祐、具合悪いのか?」
雨宮はベッドに寝ている松浪に心配そうに声をかける。
「い、いや、久しぶりに飲んだからな」
松浪は笑顔を無理に作ると、上体を起こした。自分の前のアームチェアを指す。
「で、欲しいもんってなんだよ? 馬か? それとも……」
雨宮は腰を深くかけると、じっと松浪を見る。
「その前に約束してくれるか? どんなものでも僕が望むならくれると」
「ああ、男に二言はないぜ」
雨宮は小さく頷いた。松浪から視線を離さず「ではお前を」と短く言った。
「え? なんだって?」
「お前を、と言ったんだ」
雨宮は立ち上がると、ベッドに近寄る。まん丸な眼で見上げている松浪の顔を両手で挟んだ。
「それも一時の感情じゃない。一生だ。もしお前が僕のものになったらお前が女と結婚するのも許さない。だから今すぐ答えなくていい」
「そ、それは……」
松浪を見下ろす雨宮の目には静かだが熱い火が燃えている。
「お前が壁を隔てた直ぐ隣にいるかと思うと苦しかった……お前を憎んでいると思ったからだ」
憎んでいる、という言葉を発したとき、雨宮は目を伏せる。
「でも違ったんだ……お前がいない夜はもっと苦しかった……それは……お前が今ごろは女とホテルのベッドにいるのかと思ったからなんだ……もうあんな思いはしたくない。だから」
「だから……って?」
問い掛ける松浪に雨宮は宣言する。
「お前が僕のものになりたくないというなら、僕はお前のもとを離れる。一生会わない。お前を愛してどこか遠くでその気持ちを支えに生きていくよ」
「啓……」
凛とした声で告げる。
「お前を愛していると判っただけで僕は救われる。お前を憎んでいるのではないと判っただけで十分だ。お前を憎むなんて耐えられない。もし僕がこのまま傍にいて、そしてお前が誰か他の女のものになったら、今度こそ僕はお前を憎んでしまうから」
普段静かな男のどこにこんな情熱と強さがあるのだろうと松浪は眼を見張った。
『いや……啓は元々そういう男だったんだ』
馬をあれほど愛し、競技に情熱をかける男だもの……。
雨宮は静かに続ける。
「雄祐、お前は企業の後継者だ。どこかの資産家の娘と結婚し、跡取を作らねばならない立場の人間だ……僕の望みがかなわないことは知っているよ……だから、この場で断ってもいいんだ」
唖然としていた雄祐ははっと我に帰り、目の前の細い男の腰に手を伸ばした。
「啓、勝手なことばかり言うなよ! なんだ、さっきから聞いていると!」
バスローブを掴み、引き寄せる。自分の胸に抱え込んだ。
「俺の人生は俺のものだ、こんなものでよければくれてやるよ! その代わり、お前こそ、俺の傍から離れるなよ?」
「雄祐……」
雨宮は自分の腰に押し付けられた男の頭をいとおしそうに抱いた。
しばらく黙って撫でていたが、ふと身体を離す。
悪戯っぽい目つきになって松浪の顔を覗き込んだ。
「じゃあ、今すぐ貰う。今夜、ここで。いいな? 男に二言はないんだろう?」
「え?」
雨宮はするりとバスローブを肩から落とす。生まれたままの姿が現れ、松浪は「わっ」と大声を出してしまった。
「どうした。後悔しているのか? それとも僕が怖いのか?」
「い、いや……違うよ……ただ、心の準備が……」
雨宮は引き気味の松浪に構わず、ぐいと肩を押す。松浪はあっけに取られたまま、ベッドに大の字になった。
「準備だと? ひょっとして怪我以来、使えなくなったのか? 確かめてやるよ」
雨宮は笑いながらベッドに上がった。さっさと腰に跨り、パジャマのズボンを降ろす。
「大丈夫じゃないか、雄祐、りっぱなものだ」
「啓……ちょ、ちょっと……」
「雄祐、お前は僕のものなんだろう?」
きりっとした眼で見つめられ、松浪はうんうんと首を縦に振る。そして雨宮の両手首を掴んで引き寄せようとした。
「待って、雄祐。まだお前の身体が心配なんだ」
雨宮は優しく言うと、松浪の手を振り払う。
「僕が上だ」
「え、ええっ」
唖然とする松浪の前で雨宮は腰を沈めていく。
『うそだ……』
プライドが高く、自分にとって白馬の王子様だった啓が……。
『啓のほうから俺を入れてくれるなんて……』
だが自分のモノが次第に熱く柔らかいものの中へと入っていく感覚は、夢ではない……。
「ああ、啓……」
そう、何度夢で雨宮の身体を抱いたことか……。
ただ一度、暴力で身体を繋げたときのことを思い出し、何度となくあの柔らかさを頭に描きながら自分で慰めたことか……。
ふと、雨宮がぎゅっと歯を食いしばり、細い眉をひそめていることに気づく。
「啓、痛いのか? 無理するな」
急いで震えている細い腰を抱く。
「大丈夫だ、雄祐……ちょっと痛いけれど、お前の怪我に比べればたいしたことはないよ」
やがて全部呑みこみ、雨宮はほっと溜息をついた。
「実を言うと……ワセリンを塗ってきた」
「ええっ」
「そうなんだ……どうしても今夜、お前に抱かれるつもりだった。お前が僕を拒んだら、『お別れに一度抱いてくれ』と乞うつもりだったんだよ」
雨宮は言い終わると頬を赤らめる。
「あの……最初の時がえらく痛かったからね……でもワセリンで滑りを良くしても結構きついな」
レイプのことを思い出し、松浪は「すまない」と謝る。
「いいんだ……済んだことだ……それよりもここはもう僕一人のものだからな」
雨宮は松浪の腹に手を置くと、自分を揺らし始める。
「ああ……雄祐……感じてくれ」
腰を高く上げて前傾姿勢を取るかと思うと、ぐいと坐骨を入れる。
熱い壁でぐいと根元から扱かれ、松浪は思わず呻く。
「け……けい、い、いい……」
「もっと……感じてくれ」
雨宮の動きが激しくなる。
やがて松浪は熱いものが昇ってくるのを感じた。
「け、啓ッ」
雨宮は動きを止め、迸りを内部に受け止める。
「畜生」と呻く松浪に気づき、「どうしたんだ?」と顔を寄せた。
「うう……くそ、早すぎる……せっかくお前が上で動いてくれてるってのに……なんてことだ、もっと見ていたかったのに」
心底残念そうな松浪に雨宮はつい笑い出した。
「何のことかと思ったら……」
そっと耳元に口を寄せる。
「これからはずっと一緒だ……いくらでも見られるよ」
………
多くの時が流れても、多くの日が過ぎ去っても。
今日、君の傍に僕はいる。
ジョンに捧げる歌「HERE TODAY」より(P・マッカートニー作) |