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 季節は夏になって、東日本馬術大会が、東京の馬事公苑で行われた。
 雨宮は三年ぶりに公式競技に復帰し、中障害飛越競技にエントリーしていた。
 応援に駆けつけた牧之瀬と笠井は、なんと準備馬場で松浪が乗馬服を着て、サンダーブレイズ号に騎乗しているのを見て目をむいた。
 松浪は馬場に立っている雨宮の周りで、サンダーブレイズに乗って駆け足をさせている。
「ほら、こっちの手前だと、な、耳を後ろに寝かせるから、分かるだろ?」
 雨宮は松浪を見上げて、真面目に頷いている。
「雄祐、お前、もう馬に乗ってもいいのかよ!」
 牧之瀬が声を上げると、「いや、まだだ」としらっとして、サンダーブレイズの歩みを止める。ヘルメットを脱ぐと、雨宮に放った。下から現れた頭の髪はまだ五分刈りという長さで、手術の傷痕がやっと隠れる程度だ。
「ほんと、タフな奴だなー」
 呆れて牧之瀬は言う。
「お前、開頭手術、受けたんだぞ? 分かってんのか? ゴリゴリって、電動ノコギリで頭の骨、切られて、パカッと開けたら、赤黒い血の塊がさー、白いブヨブヨの脳の表面に……」
 牧之瀬は見ていたようにすごむ。
「うわーッ、やめてくれッ、聞きたくないッ」
 松浪は両手で耳を塞ぐ。
「じゃあ、おとなしくしてろよ、じゃないと、もっと、言うぜ?」
「はいはい、分かった、分かった」
 松浪はしぶしぶ雨宮と交替する。
 サンダーブレイズに騎乗した雨宮は、正式の黒いジャケットに真っ白のズボン、胸元は白いスカーフを金色のブローチで止めている。髪は後ろでまとめて、ポニーテールのように垂らし、目深にヘルメットを被ると、凜とした美少女のように見える。輝くほどの美しさで、松浪は目を細めて見詰めた。
 が、そっけない言葉が頭の上から降って来た。
「牧之瀬さん、雄祐を観客席へ連れてって下さい。いちいち指図して、うるさいから」
「啓、それはないだろー」
 唸り声を上げる。
「お前、久しぶりの試合だから、勘が鈍ってるだろうと思って、親切にアドバイスしてやってんのに」
「僕は雄祐よりサンダーブレイズのことは知ってるから、心配なく」
 雨宮はつんとすます。
 松浪はしばらく睨んでいたが、
「いいか、満点で決勝(ジャンプオフ)に残らなかったら、承知しないからな!」
と宣言する。
「優勝したらそのかわり、何でも言うことを聞いてやる」
「へぇ」
 雨宮は馬上から松浪をじっと見下ろした。
「聞いたぞ。じゃあ、僕の欲しいものを何でもくれるか?」
「ふん、そんなこと、朝飯まえだ」
 松浪は言い残すと、牧之瀬と去っていった。雨宮はくすりと笑う。
「まったく、あれぐらい言わないと、雄祐は言うことを聞かないからね。タフといっても限度があるのに」
 見送る眼には、ちょっときつい言葉とは裏腹に松浪への気遣いが溢れ、笠井は胸が暖かくなった。
 そばに行くと、サンダーブレイズが首を下げ、笠井の匂いを嗅ぐ。暖かい息が首筋に吹き付けられ、
「くすぐったいよー」
 笠井は目を細めた。
「サンダーブレイズも久しぶりだね、試合に出るの」
 流星の流れる馬の鼻面を優しく撫でる。
「雨宮さん、まだこの馬は不幸をもたらすって、思ってる?」
 笠井は心配そうに見上げた。何と言っても、この前の試合で松浪は怪我をしたのだもの。
「いいや」
 雨宮は柔らかく微笑んだ。
「イギリスで貿易会社を持ってる人が、この馬のことを調べてくれたんだ。そうしたら、伝説は間違っていたんだって。城主と狩りに出た時、黒馬はオオカミの群れが道の先にいる事を知って、動かなくなったんだそうだ。馬の首を切り落としたあとそのことを知り、城主はたいそう嘆いて、馬の亡骸を丁重に葬り、自分の紋章を黒い馬にしたんだって。それから、その家では黒い馬は主人を守るという象徴になったんだよ」
「伝説のとおりだね! サンダーブレイズは雨宮さんと松浪さんを守ったんだもんね!」
 笠井は嬉しくなって、また鼻梁の流星をかいてやった。
 ふと、どうしても聞きたくなり、口を両手で囲ってこっそり言ってみる。
「あのさ、雨宮さん……あれから松浪さんとエッチした?」
 雨宮はまたつんとすます。
「いいや、僕はプライドが高いからね。いくら欲しかったからと言っても、あんなひどい目にあわされたんじゃ、そう簡単には許さないよ。僕がいいというまではお預けと言い渡してある」
 ちょっと松浪が可哀想になったが、
『ま、仕方ないかもな、雨宮さんを手に入れたんだからな』
 笠井は納得する。

 観客席へ戻ると、松浪は自分が試合に出る時よりずっと落ち着きのない様子で、伸び上がって馬場の中を見ている。そのうち、
「あーッ、やっぱ、あいつが心配だわ、もう一度、見てくる!」
と、準備馬場へと走って行った。
「元気ですねー、松浪さんって」
「ああ、殺されても死なないって奴かな?」
 呆れた様子で牧之瀬が言う。
「ま、雨宮さんの尻に敷かれて、ちょうどいいかもね」
「えッ」
 笠井は驚いて、牧之瀬の顔を覗き込む。
「先輩、松浪さんと雨宮さんのこと、知ってたんですか?」
「まぁね」
 牧之瀬は準備馬場へと走る松浪を眼で追いながら、話し続ける。
「だって高校からの付き合いだもの、雄祐とは。なんとなく分かったよ……一度、あいつが大学の時、女遊びが激しい時期があってさ、一緒に酒を飲んだ時、僕がいいかげんにしろって言ったら、あいつさー、『だって本当に好きな人は、絶対、手に入らないんだ』って、大泣きしたんだよ? たまげたよな、あの時は」
「へぇーッ」
 笠井はなんとなく、松浪の純情が分かるような気がした。
「牧之瀬さん、松浪さんの好きなのが雨宮さんだって、いつ知ったんです?」
 ちょっと牧之瀬は首をかしげた。
「うーん、結構、最初からかな? あいつの雨宮さんを見る眼って、全然、違うからね」
 ラブラブ光線が出ていたのだろうと笠井は納得した。
 気になっていることを聞いてみる。
「松浪さんの好きなのが男だって知って、気持ち悪くありませんでした?」
「だってさー、泣く程好きなんだったら、しょうがないんじゃないの? 男だろうが、女だろうが」
 その答えに笠井は肩の荷が降りる。少なくとも牧之瀬はゲイ嫌いじゃないのだ。
「笠井はどうなのさ? お前こそ気持ち悪くないのか?」
 いきなりの質問に、笠井は間髪入れず答える。
「そりゃもう、ぜーんぜんッ」
「良かったー」
 牧之瀬の笑顔に、『ん?』と笠井は思う。
『それって、ひょっとして……』
 だが、期待に満ちた笠井に向けられたのは、
「雄祐は友達だからな。笠井に嫌ってしくないよ」
 という続きで、がっくりとした。
『ま、焦ることないよね。松浪さんだって六年かけたんだもんな』
 ちらりと牧之瀬の横顔に視線を向ける。あの松浪の家の美術館で見た、白磁のような透き通った肌、謎のような笑みをたたえた仏像を思わせる彫の深い整った顔をうっとりと見詰める。
 今はこうやって傍にいるだけで満足だった。
『それに、なんか……』
 今度の事件で先輩・後輩という関係より、友達という関係に一歩、進んだような気がする。
『次は親友、その次は……恋人が目標だよな』
 笠井はにんまりとしてしまった。
「それでは、第四競技を開始します」
 アナウンスが馬場に鳴り響く。
 埒が開いて、サンダーブレイズ号に騎乗した雨宮が馬場に現れた。
「一番、雨宮啓さん、馬、サンダーブレイズ号、アバランシュ乗馬クラブ所属」
 スタート係の白い旗が、振り下ろされた。

END