AIで楽曲を楽器やボーカルに分離する

1

 

男の子だったら誰しも一度は「おまわりさんになりたい」と考えたことがあるに違いない。
女の子が「お嫁さんになりたい」と望むのと同じくらい自然に。
僕・城崎(きざき)大輔(だいすけ)も例外ではなく、幼稚園の卒園文集ではしっかり書いた。
ただちょっと違っていたのは「おまわりさん」ではなくその頃から目標が刑事だったことだ。
「けいじになってわるいやつをやっつけたい」そう書かれた文章はまだ母が大事にとっている。
多分その頃流行っていた刑事ものか変身ヒーローもののTVに影響されたんだろう。
その後、色々あって一時グレていた僕は高校に入ったとき、小さい頃の夢をかなえようと決心した。
さらに色々あって、今、やっと僕は刑事への登竜門にさしかかったところだ。
高校を出て警察学校に入学したときからすでに五年が過ぎていた。
卒業して国立警察署の地域課に配属され、交番勤務が三年。
刑事任用試験に合格し、再び警察学校へ戻っての座学が一ヵ月。
いよいよ明日から僕は一ヵ月間の実務研修に挑む。
研修後の面接で合否が決定するが、もちろんその前の研修でいい成績、というか、刑事に向いているということをアピールしなくてはだめだ。
僕は遠足の前の子供のようにその晩は眠れなかった。


実務研修に派遣されるのが六本木署と決まったとき、僕はちょっと嬉しかった。
卒配で三年間過ごした国立は文教地区で、「残念ながら」などと言うとヒンシュクを買うかもしれないが凶悪事件からは程遠かった。
どうせ刑事になるのなら、毎日事件が起こる盛り場の所轄署に配属されたいと思っている。
それに六本木は盛り場だけでなくお洒落で国際色豊かな街だ。
必死で頭に叩き込んだ英語も役に立つ。
僕は張り切って警察署内の寮に泊まれるよう申し込んだ。
四六時中勤務に励み、やる気を見せて良い評価を貰いたいという気持ちもある。
こうして僕が身の回りの僅かなものとともに六本木署にやってきたのは、まだ夏の残る九月半ばのことだった。
六本木署は六本木の交叉点から西麻布のほうへと下っていったところにある。
五階建ての飾り気のないコンクリートの塊だ。
最近建て直された秋葉原署などはまるでホテルのような外観なのだが。
緊急招集に対応できるよう、警察署内には独身寮が必ずある。
六本木署の五階にもあって、僕はそこの一部屋に荷物を運び込んだ。
四畳半に押入れ、風呂・トイレは共同で、小さなコンロのついた給湯所はあるものの台所はない。
こちらも新しく建て直された所轄署だと、ワンルームマンションなみに設備が整っているのだが、まあ仕方がない。
ここが一ヵ月間の僕の根城だ。
正式な研修は明日からだが僕は荷物を解くとまず紺色のリクルートスーツを着込み、ネクタイを締めた。
そしてジャケットの下にはホルスターと貸与されたばかりの拳銃も。
そんな格好をしたのは明日からの研修に備え、自分にカツを入れるためだ。
巡査として地域課に勤務していたときは、毎日拳銃を携帯していたから拳銃をホルダーに入れることに今さら感激はない。
でもスーツに拳銃というのに僕は憧れていた。
当然TVの刑事ものドラマのせいだ。
警官の制服にホルダーもカッコいいが、やはりスーツの下に拳銃を隠し持っているなんて数倍もカッコいい。
僕は鏡の前で斜に構え、手を前立ての合わせから差し込んで抜く真似をしてみた。
もう何度となく練習している。
警察学校では、こんなガンマンのような訓練はない。
ゆっくり取り出してきちんと構え、狙いを定めて撃つ。
流れ弾が一般の人に当たったらたいへんだから当たり前の話だ。
でも僕は射撃にはちょっと自信がある。
警察学校の射撃訓練で教官を感心させたこともあるのだ。
それは3・0という視力のせいだ。
教官は「動体視力もいいんだからこのまま学校に残ってオリンピックを目指さないか」と誘ってくれたが、もちろん断った。
射撃訓練は嫌いじゃないけど、悪人を捕まえるための補助的なもので、最終目標は刑事なのだから。
繰り返し鏡の前でポーズを取っていると、急に扉を叩く音がした。
「どなたですか」
僕はそのまま扉の前へ行って開けてみた。
狭い寮の廊下に立っていたのは僕よりも頭一つほども高い男だった。
Yシャツは分厚い胸の前ではち切れそうだ。チャコールグレイのスーツは皺もなく、長い手足にぴったりと合っている。
けれどネクタイのノットは緩み、少しばかり曲がっていた。
靴は分厚い革製の支給靴だ。
僕は目の高さからさっと視線を落とし、以上のことを見て取る。
数秒で相手の服装背丈・人相を見極めるのは警官の基本だ。
次に首を反らして顔を見るため上へと視線をやった。
男は片手を扉にかけ、じっと僕を見下ろしていた。
短く切った髪は櫛の分け目が通っておらず、少し乱れている。
太い眉にその下の三白眼はかなり迫力がある。鼻梁は太くて高く、まっすぐだ。
唇は引き締まっているが分厚く、顎も角張っている。
ここが警察の寮でなければマルB、つまりヤッチャンかと思わせるような風貌だ。
なかなか男前なのだが典型的な二枚目とは言えず、TVドラマだったら主人公を食いかねない個性的脇役か? 
年齢は……そうだな、迫力満点だけれどよく見ると若い。
「研修生だろう?」
男は僕をすがめで値踏みするように見た。
「さっき、うちの課長が階段で見かけたんだ。
 すぐ顔を出せとよ」
見た目と同じで声も威圧的だ。
喉の奥から搾り出すように太くて低い。
「うちの課長」と言ったところから見ても、外見から見ても刑事に間違いない。
となると僕の先輩ってことだ。
「はい」
さっと直立不動の体勢を取り、僕は返事をする。
研修は明日からだが、刑事課にお世話になるなら今日にでも挨拶はしたほうがいい。
それも呼ばれたのならすぐに。
僕は入り口の靴箱に手を突っ込んだ。
目の前の男が支給靴を履いていることを思い出し、僕も支給靴にした。
刑事たるもの、いつでもどこでも任務に就けるようにすべきだ。
男は僕が靴を掃き終わるのも待たず大股で廊下を歩き出す。
僕は転びそうになりながらそのあとを追った。
階段で追いついて、「どこへ行くんですか」と一応尋ねてみた。
「刑事課に決まってるだろう」
男の行った先は二階だった。
刑事課と札の出ている部屋は僕のいた国立署の刑事課よりずっと広い。
所属する刑事の机がおよそ四十ほども並んでいる。
国立署と同じなのは、綺麗に整理された机と書類が落っこちそうなぐらい積み上がっている机が混在しているところか。
一番奥の課長席には制服姿の中年男性が座っていた。
胸の階級章は警部だ。
五十ぐらいだろうか、髪にはかなり白いものが混じっていて、黒縁の眼鏡をかけている。
四角い額に哀しそうな下がり眼をしていて、顎は尖って細い。
どこかで見たような顔だな、と思った途端、高校の教頭先生が頭に浮かんだ。
中間管理職の悲哀で胃を悪くし、休職したんだっけ……痩せてて「ガイコツ」と呼ばれてて……。
この課長も苦労性なのかな、などと考えていると隣の男が声を掛ける。
「課長、連れてきました」
ぶっきらぼうに課長に伝えると、さっさとまた刑事部屋から出ていく。
「ユキ、ちょっと待った」
課長は席から立上がると男を呼び止める。
ユキと呼ばれた男は渋々引き返してくる。
ユキ、だって? なんか可愛い。
見た目とまるでかけ離れた呼び名に僕はちょっと噴き出しそうになっていた。
男は僕がニヤついていると勘違いしたのか、ひどく険悪な顔でこちらを睨み、さらに課長も睨んだ。
「なんですか、おれはこれから地取りに出かけたいんで」
「じゃあちょうどいい、彼を連れて行ってくれ」
「彼」とは、と僕は辺りを見回したが該当者は自分しかいない。
課長は少し哀しげに僕に微笑んだ。
「君、しろさきだいすけ君、だったね」
「キザキ、です」
僕は訂正したがそのまま課長は続ける。
「普通、研修生は盗犯係に指導をお願いするんだが、実は強行犯係の手が足りなくってね。
 君の指導は強行犯の由岐中(ゆきなか)主任にお願いしようと思っているんだ」
大島課長の目はユキと呼んだ男に注がれている。
「いいね、ユキ」
つまり「ユキ」とは「由岐中主任」の愛称で、強行犯係で、そしてこの男のことで、さらに僕の指導刑事に任命されているわけで……。
一瞬のうちにそんな考えが僕の頭を過ぎる。
だが「よろしくお願いします」と僕が言う前に、由岐中主任はきっぱりと課長に否定的見解を述べた。
「冗談じゃない、課長」
由岐中主任は上体を屈めて両手を机につくと、肩越しに僕を見る。
「研修生のお守りなんておれはできませんよ。
 それぐらいなら一人で廻ったほうがいい」
すると課長は冷静に応えた。
「いいか、ユキ、当分の間、欠員の補充は来ない。
 すでに二人が合同捜査班に手を取られている。
 そしてイソの椎間板ヘルニアは重症だ。
 あと最低二ヵ月は入院が必要だそうだ。
 研修生でも猫の手よりはマシだろう」
警察は常に人手不足だ。
公務中の病気や怪我で休職する人は多い。
要するに強行犯捜査係は人手不足なのだ。
にしたって「猫の手」はないだろうっつーのに。
すると由岐中主任はもっとひどいことを言った。
「猫の手でもこんな仔猫ではね」
「それでも手は二本あるんだ」
うわー、課長が一番ひどい。
課長は由岐中主任がしぶしぶうなずいたのを確認し、僕のほうへと手を差し出す。
「しろさき君、刑事課長の大島直人だ。
 うちで実務研修に励み、優秀な刑事になってくれたまえ」
僕はさっと敬礼してから手を取った。
「キザキです」と訂正したいのを我慢して。
大島課長は僕の手を握ったまま顎で由岐中主任を指した。
「由岐中助(たすく)警部補、強行犯主任だ。君の指導刑事になる」
警部補! 
どうみても三十そこそこにしか見えないのに! 
スピード出世なんだ!
反射的に空いたもう片方の手で敬礼する。
握手と敬礼、同時にやると全然カッコよくない。
「あっ、失礼しました!」
すると由岐中主任は初めて目を和ませ、今までのド迫力がやわらいでふいに温かなお兄さんという表情になった。
「しろさきだいすけ君といったな、堅苦しいのは抜きだ」
「あの、キザキです」
僕は握手の手を離すと由岐中主任に向き直った。
「ふうん、呼び方ってのは難しいな。
『たすく』って『助ける』って字なんで、おれはよく『ゆき・なかすけ』って初対面の人には呼ばれるからな」
僕は噴き出し、大島課長は安心したように席についた。
「頼むぞ、ユキ、一人前にしてやれよ」
「まあ、拝命とあらば仕方ないでしょう」
それでも由岐中主任は僕に「じゃあ、ダイスケでいいな」と言い渡す。
「結構です、主任、なんとでも呼んで下さい」
言い終わるときには由岐中主任はもう刑事部屋から半分出ていた。
 僕は慌てて後を追う。
階段を降りながら「おれのほうも主任じゃなくて名前でいいぞ」と由岐中主任は僕を振り返る。
「名前、ですか……」
まさか僕が「ユキ」とは呼べない。
だからといって普段はともかく「由岐中さん」では緊急時には言いづらい。
舌を噛みそうだ。
「名前より『先輩』ではどうでしょうか」
「いいだろう」
続けて僕の顔をじろじろと眺める。
「まさか……髪は染めてやしないよな?」
「はい、自毛です。正真正銘の天然!」
僕の父親譲りの少し赤みがかった毛は、どこでも最初は物議をかもすのだ。
警察学校に入学したときは「ヤンキーあがりか」と言われたし。
だがその次はそれよりもっと悪かった。
由岐中さんは階段を降りながら唸った。
「最初に見たときはまさかハーフの女の子かとたまげたんだが……そんなわけ、ないよな」
同じように批評されたことは今までもあったけど、職場の上司、しかも警察という職場ではまったく頼りにならないと言われたようで気分が悪い。
僕はちょっと語気を強めて「生粋かつ正真正銘の日本男児です」と答えた。
「証拠を見せましょうか?」
バカか、と由岐中さんが吼える。
「お前のナニを確認する気はない!」
「ええっ、あの、運転免許証を見せるつもりだったんですけど」
すると由岐中さんは大きく階段を踏み外した。
いけない、先輩にくちごたえするなんて。
僕は慌てて謝る。
「すみません、やっぱ、まずいですよね。
 黒く染めましょうか?」
すでに一階についていた由岐中さんは「もういい」と手を振った。
「どこへ行くんですか」と尋ねる間もなくそのまま大股で玄関へと向かう。
さっき「地取り」と言っていたから、これからすぐに職務につくのだと僕も緊張してきた。
受付の前を猛スピードで通過しつつあった由岐中さんの足が不意に止まった。
受付のぽっちゃりとした若い婦警さんが目を丸くしているのに気づいたのだ。
親指を反らして僕を指す。
「実務研修生だ、宜しくな」
婦警さんの口が「ウッソー」と形取った。
「城崎大輔です」
僕が敬礼すると婦警さんは今度は「ヤッダー」の口をした。
「もう、変身ヒーローみたいですね!」
はあ? と由岐中さんは首を傾げる。
「ほら、なんとかレンジャーって子供向けのであるんですよぉ、最近はイメケンの宝庫なんですってば」
なんとかレンジャーに出てくる人みたい、と言われたことは前の国立署でもしょっちゅうだった。
ただ、いわゆる主役級の「レッド」ではなく、女性の定位置である「ピンク」に似ている、と指摘されることのほうが多く、僕にとってはあんまり誉め言葉にはならなかったのだ。
由岐中さんはじろじろと僕の顔を眺めた。
「ふうん、最近はこういう優男が流行りなんだな」
僕の反論も待たず、再び大股で歩き始めた。
僕は追いついて並ぶと「地取りってなんのですか」と尋ねた。
「ああ、よその事件なんだが、アカイヌでな」
警察の隠語で、「放火」のことだ。
放火は江戸時代から殺人に匹敵する大犯罪で、強行犯係の担当である、と警察学校では習う。
「『火付け盗賊改め』ってあるだろう?
 鬼平はな、強行犯係だったわけだ」と教官が教えてくれた……などと考えている隙に背の高い由岐中さんはすっと前へ出る。
僕は駅伝選手のように必死でまた併走した。
行った先は六本木の交叉点から少し離れたところにある、繁華街の真ん中の薬局だった。
クラブや飲食店が入っている雑居ビルの一階だ。
「防犯ビデオはあるかな」
由岐中さんは店長を呼び出し、尋ねる。
「レジのところに一台。
 ですが、二十四時間は回してないす」
店長は警察手帳にびびりながら答えた。
「案内してくれ」
店長は僕たちをレジに案内する。
僕は胸に手を入れ、メモ帳を探った。
と。
革のホルスターに指が触れ、僕は固まった。
いっけね……。
TVドラマとは違い、私服刑事はやたらと拳銃を携帯はしない。
普段は拳銃倉庫に入れて厳重に鍵をかけて仕舞っておくのだ。
さっき僕は空撃ちの練習をして、そのまま由岐中さんに呼び出されたんだっけ……。
だがここで「署に戻って置いてきます」などとは言えない。
僕は何食わぬ顔でメモ帳を取り出し、書き込み始めた。
由岐中さんは僕に何一つ説明をしてくれない。
しかし二人のやり取りで、駐車場に停めてある車への放火がこのところ続いているのだと判った。
それも店先ではなく、コインパークなので目撃者がいない。
そして薬用アルコールがその放火に使われており、それで深夜営業の薬局を重点的に訊き込みをしていることも。
現場に残されたレシートの燃えカスから、チェーン店の一つであるこの店に足を伸ばしたのだった。
レシートに打ってある番号でどの店か判る仕組みだ。
「この店ではないが、今後、薬用アルコールを買いに来た人がいたら連絡を頼む」
由岐中さんは太い指で頭を掻くと、店主に礼を言って外へ出て行く。
「次だ」
数歩、歩いたところで由岐中さんは手を胸に当てた。
掴みだしたのは携帯。
すわ、呼び出しか、と僕も緊張した。
由岐中さんは顔をしかめ、「なんだよ」と不機嫌な声を出す。
どうも署からではなさそうだ。
私用なら、と離れようとした僕を由岐中さんの手が捉えた。
「なんだって、もう一度……判った、すぐ行く」
由岐中さんは僕を引っ張ると走り出した。
「情報提供だ。
 景品交換所の傍に不審なバンが停まっていると」
「誰からです?」
「信用の置ける奴だ、あいつが言うんだから間違いない」
後半はほとんど独り語だった。
パチンコ屋の景品交換所はたいがい一本裏通りに入ったところにある。
情報提供者が指摘した交換所もマンションの立ち並んだ閑静な一画にあった。
僕たちは通りに入るとすぐに電柱の影に隠れて辺りをうかがった。
駐車場の隣にプレハブの交換所があった。
その前は事務所などが入っている五階建てのビル。
隣は瀟洒なマンションでその一階は玄関に大きな三色旗の掲げられたフレンチレストランだ。
だが客用の駐車場は空っぽで不審なバンなど停まっていない。
「バンは……」
僕が尋ねると由岐中さんは「あそこだ」と声をひそめた。
次の角に確かに遮光シートの張られたグレイのバンがエンジンをかけたまま停まっている。
サイドドアは大きく開け放されている。逃亡犯が駆け込みやすいようにだろうか?
「逃亡し易いよう、開けてるんでしょうか?」
「どうかな……荷物の積み卸しの最中、と言われればそれまでだが……とりあえず、職務質問をかけよう」
だがその言葉が終わらないうちにバンと大きな音がして、景品交換所から毛糸の眼出し帽を被ったジャンパー姿の男が二人、飛び出してきた。
「うわっ、もうやっちまったか」
由岐中さんは冷静に呟き、走り出した。
僕はといえば、いきなり強盗の現場に遭遇し、いささか慌てていた。
だが現行犯逮捕のお手柄を立ててれば、それは刑事昇任への確実な足がかりになるのだ。
ここで怯んでは男がすたるってもんだ。
僕も由岐中さんに遅れること0・1秒で走り出す。
「おいっ」
由岐中さんが叫び、男たちはこちらを向いた。
手にしていた鞄を放り出すとなんと一目散に逃げ出す。
『なんだよ、鞄ぐらい抱えてけよ! 根性ねーな!』
思いながらもあとを追う。
僕より五歩ほどリードしていた由岐中さんが一人に追いつき、肩に手をかける。
次の瞬間男は宙に舞い、僕の目の前に落ちてきた。
「うわっ」と僕は仰け反り、慌てて由岐中さんを見る。
由岐中さんは投げ飛ばした男に構わず、前を行くもう一人を追いかけている。
つまりこいつは僕に任せるということなんだろう。
僕はアスファルトに伸びた男の上にレスリングのフォール状態で飛び乗り、腰から手錠を取り出した。
「強盗の現行犯で逮捕する!」
素早く男の利き手に片方の輪をはめる。
もう片方はちょうど目の前に停めてあったナナハンのホイールに繋いだ。
これなら逃げられない。
声がちょっと上ずったのは恥ずかしかったが、警察学校で教えられた逮捕術通りの手順を踏むことができ、僕はほっとした。
そして由岐中さんともう一人の男は、と顔を上げる。
もう一人の男は身体が大きく、由岐中さんは男を地面に押し倒したものの、まだ盛大に揉み合っている。
僕が加勢に行こうと思った瞬間、視界の中であのバンが動いた。
「先輩っ」
バンはエンジンの唸りを上げ、道路で上下の位置を入れ替えながら争っている二人へと近寄っていく。
タイヤは軋み、どんどんとスピードは上がっている。
「停まれ!」
僕は怒鳴ったが、バンのスピードは変わらない。
二人をはねて逃走しようとしているのに違いなかった。
このままでは二人とも危ない!
走っていって車に飛びつくか? いや、距離がありすぎる!
間に合わない。
僕は迷わず背広の内側のホルダーへと手を伸ばす。
ニューナンブの馴染んだ重さと冷たさを掌に感じた。
射撃訓練と同じように片膝を立て、両腕の脇を閉める。
TVドラマでは一時間の間に三回は拳銃を抜くシーンが出てくる。
しかし僕が幾ら刑事ドラマファンでも、街中で人間相手に拳銃を発射するなんてことはそう簡単にできない事ぐらい、承知している。
警視庁警察官服務規程にはそう書いてある。
それでも僕は落ち着いて引き金を絞った。
止まっているものを撃つのは簡単だ。
しかも訓練よりもずっと近い位置で。
そう、僕の狙ったものは三色旗を垂らしているポールだった。
轟音が辺りに響き、由岐中さんと強盗の片割れはびくっとして動きをやめた。
一瞬ののち、バキバキという音がして、三色旗がゆらりとはためく。狙い通りバンのフロントガラスに折れたポールごとぶちあたった。
運転手はさすがにアクセルを緩めたようで、ついでにハンドルも取られたらしく、バンは傾ぎながら道端のゴミ集積所に突っ込んだ。
そして辺りのビルからたくさんの人が走り出てきた。
聞きなれたパトカーのサイレンが近づいてくる。
僕はほっとして立ち上がった。
「先輩」と声をかけようとした僕に由岐中さんは怒りの形相で振り向いた。
「貴様……まだ会って一時間も経ってないのに……とんでもないことをしてくれたな!」
そう、警官が発砲するとえらい騒ぎになるのだ。
まず始末書を書かねばならない……そして稟議書のように署長以下、上から順に判子を貰って……マスコミには「正当な発砲だった」と発表し……上の連中が一番嫌がることだった。
そんなことは僕だって知っているし、発砲したくてやったわけじゃない。
どうしてもしなくちゃいけないと思ったからだ。
先輩ともう一人の男に生命の危機が迫っていると感じたからで……。
でもそうは言えず、僕はニューナンブを手にしたまま俯いた。
すると再び「何をもたもたしてやがる!」という由岐中さんの怒号が響いた。
はっと眼を上げると由岐中さんが男を地面に押しつけ、後ろ手にして手錠を掛けている。そして煙の上がっているバンを顎でしゃくった。
そうだ、まだ運転席にいるはずの犯人を確保していないのだ。
僕はニューナンブをホルスターにしまうとバンへと走り出した。
だが僕とバンの間に見慣れた白と黒のツートンカラーの車体が滑り込んでくる。
バラバラと警邏隊の制服警官が扉を開けて降りてきた。
助っ人の到着に僕は今度こそ肩の力を抜いた。


大島刑事課長の顔色はいっそう青ざめ、今にも倒れそうだった。
それでも大島課長は僕のために水沢(みずさわ)署長に対し、はっきりと状況説明をしてくれていた。
僕と由岐中さんと大島課長は署長室でもう一時間も搾られているのだった。
ついに水沢署長は「解った」と片手を挙げた。
「報告書は由岐中の名前で出せ。
 研修中の見習い刑事の発砲など、とても表には出せない」
言いながら水沢署長はぴったりと撫でつけた髪を掌でさらに上から押さえた。
神経質そうに目尻のあたりをピクピクと動かす。
「それからレストランへは大島課長、君が破損したポールの弁償金をもって直に謝りに行くんだ。
 そのときにはこの……」
と水沢署長は僕を顎で指した。
「ジャジャ馬も連れて行け」
大島課長はもっと思い叱責を覚悟していたようで明らかに嬉しそうな表情になった。
すると水沢署長がすかさず釘を刺す。
「いいか、この城崎の拳銃の腕がオリンピック選手並みだというのは言い訳にはならないんだぞ。
 流れ弾が通行人に当たって怪我でもさせたら、マスコミはこぞって警察を叩くんだ。
 このところの不祥事にただでさえ報道は過熱気味なんだからな」
二年をめどに管理職を渡り歩くキャリアは、一番その手のスキャンダルを嫌うのだった。水沢署長は三十六歳で警視正というバリバリのキャリア組だから仕方がない。
水沢署長は冷静に言い足した。
「現行犯逮捕手続き書にも、由岐中、君が発砲したと書いておけ。
 監察官にもそう報告しよう」
さすが、キャリアは先の先まで計画を立てていた。
発砲した警察官は、警察内の不祥事を調査する監察官にねちねちと調べを受ける。
僕のせいでそんな眼に会うなんて、と僕は隣に直立不動をしている由岐中さんをそっとうかがった。
すると由岐中さんは水沢署長に見られない角度で唇をへの字に曲げてみせる。
そのあとも水沢署長の説教をどこ吹く風と聞き流した。反骨精神の持ち主らしかった。
それでも署長室を出ると僕は身体を直角に折り曲げて謝った。
「いいんだ、気にするな」と由岐中さん。
「署長職は部下の責任を取るためにあるんだから」
おいおい、と大島課長は由岐中さんをたしなめる。
「それよりとにかく現行犯逮捕なんてお手柄だ。
 署長だってそう思ってるよ」と付け加えた。
そして「今日はもう帰っていい」と僕たち二人の肩を叩いた。
「取り調べも送検も明日からだ」
それでも僕はまだ由岐中さんの顔をまともに見られなかった。
現場であれだけ僕を叱責した由岐中さんは、大島課長と水沢署長の前では一言も僕に対する非難の言葉を発さなかっただけでなく、僕の発砲がいかに適切だったか、そして犯人確保にどれだけの功績があったかを力説してくれたのだった。
厳密に言えば、僕がやったことは由岐中さんが投げ飛ばした犯人に手錠をかけたこと、そして(確かに由岐中さんの命を救ったかもしれなかったけど)ニューナンブを一発、ぶっ放したことだけだったのに。
僕は研修一日目、いや、またしても厳密に言えばマイナス一日目にして指導刑事に大変な迷惑をかけたのだ。
刑事部屋に戻ると由岐中さんはもう一度「気にするな」と言った。
「それより見直したぞ。
 茶髪でふにゃらけてるのかと思ってたんだ。
 すまないと言うのはこっちだ。
 どうも色眼鏡で見てたようだ」
由岐中さんの表情はとても優しくて、僕は胸の中が熱くなった。
「いえっ」と大声で返事をする。
「自分こそっ、まさか先輩が庇ってくださるなんて思ってませんでした!」
そこまで言って、あっ、と僕は慌てて口をふさいだ。
「すみませんっ、言い過ぎでしたっ」
隣にいた大島課長がくすくす笑い出す。
「まあ、由岐中の見てくれはあんまり優しそうじゃないからな」
由岐中さんは憮然とした表情になり、どすんと椅子に腰を下ろした。
そして厳しい眼になって僕を見上げる。
「おれは見てくれ通り厳しいぞ。
 さあ、新米、これから書類作成業務に入る!
 終わるまでは帰さないからな!」
僕はうへっとなった。
知られていないことだが、警官の仕事はかなりの部分、書類の作成に占められている。
逮捕状の請求、被害届、実況見分調書、その他もろもろ……。
だがこれが上手に書けるようにならなければ、確かに一人前にはなれないのだ。
僕は渋々、由岐中さんの隣の机についた。

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