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| 「よし、これで今日は勘弁してやる」 由岐中(ゆきなか)さんの声が刑事部屋に響いたのはもう夜も十時過ぎだった。 すでに部屋には当直の刑事しか残っていない。 やっぱり見た目と同じに厳しい人なんだ……。 僕はもう疲れてふらふらだったが、これで解放されるのはありがたい。 急いで立ち上がった。 「失礼します」 お辞儀をしてきびすを返した僕の腕をしかし強い力が捕らえた。 「寮にはなんにもないんだろ? 飯を奢ってやろう」 「ええっ、ほんとですか?」 「ああ。今日は良く働いたからな、ご褒美だ」 実を言えばふらふらなのは腹が減っているからだった。 今朝から何も食べていない。 「ありがとうございますっ」 僕の大声に由岐中さんはにっこりした。 警察署を出ると、さすがに六本木で、昼と変わらない通行人の多さだ。 由岐中さんは大股でどんどん歩き、六本木の交叉点から防衛庁の跡地を過ぎ、乃木坂を目指す。 七丁目まで行くとその辺りは猥雑な風俗店やら一杯飲み屋やらがひしめき合って、表通りのお洒落なオフィス街と別の表情を見せている。 客引きの多くが外国人で、歌舞伎町と違ってアフリカ系やアングロサクソン系も見られる。 きょろきょろ辺りを見回しながら歩いていると、いつのまにかちらしやポケットティッシュが手に押し付けられていた。 由岐中さんが振り返り、呆れ顔になった。 「確かに誰もお前のことを刑事とは思わないよな」 「いいじゃないですか、それってなにかの役に立つかも知れませんよ?」 思わず僕は言い返してしまい、由岐中さんはぎょろりと眼を剥いた。 「ふうん……驚いたな、言い返すとは。 しかしそうかもしれんな」 言いながら由岐中さんは急に顔をしかめる。 怒り出すのかと慌てた僕の前でしかし携帯を取り出した。 「おう、お前か……なんだって……ああ、もう判ったよ! そっちへ行くって!」 由岐中さんは眉をぎゅっと寄せたまま携帯をしまうと大きく息を吐き出した。 そして「行こう」と僕を促す。 「あの……そっちって?」 僕が尋ねると由岐中さんは「奴のところだ」と嫌そうに答えた。 「やつ?」 「昼間、情報をくれた奴だよ。 礼に奢れと言われた。 近くのパブにいるから来いとさ」 その人のおかげで現行犯逮捕できたのだからお礼をするのは当然だが、なんでそんな嫌そうなのだろうと首を捻りつつ、僕は由岐中さんの広い背中を追った。 だが由岐中さんが入っていった店の看板を見て合点が行った。 「コ、コンセプトパブぅ? 『三沢基地』ぃ?」 ぎらぎらと電飾に縁取られたどぎつい色彩の看板にはそう描いてある。 そして階段を降りて地下の部屋に入った僕は、想像をはるかに越えるとんでもない光景にぎょっとした。 ただっぴろい店内はコンクリートの打ち放しで、そこかしこにはバズーカ砲やらロケット弾やらの模型が展示されている。 壁を飾るのはもちろん自衛官勧誘ポスターだ。 一画にある大きなモニターには、「陸自」「海自」「空自」の勧誘CMが交替で流れる。 そして盆を片手にあちこちを歩いているのは、上半身はランニング一枚に下は迷彩ズボンのマッチョな男たちだ。 女性従業員はみかけない。 客はほとんどが男性だ。 六本木に女性向けのマッチョ男がいる店があるって聞いたけど、どうもここはそうじゃないらしい。 ということはミリタリーオタク専門店なんだろうか? 「おおーっ、由岐中!」 肩幅の広いスーツ姿の男が立ち上がった。 顎は尖って三角形のおむすびのような形の顔だ。 きりっとした細い眉に眼も細い。 醤油顔の二枚目だ。 歳は三十代後半か。 男は右手をさっと額に当て、かかとを鳴らした。 「主任どの、久しぶりであります!」 「やめろ」 由岐中さんは唸ると男のそばに近づいた。 「なんてとこだ。 自衛隊を辞めてもまだこんなとこが好きなのか?」 「ふふん、お前の趣味にも合うだろうが」 由岐中さんはむっとした顔になり、僕はその時「はてな?」と思った。 男は僕に気がつくと「おおっ、新しい相棒か」と尋ねる。 「違う。 実務研修の面倒を見てるんだ」 「へーっ、なかなか可愛い子じゃないか、セクハラするなよ?」 「誰がっ」 由岐中さんは本気で怒鳴り、僕を振り返った。 「このバカ男は国東(くにさき)衛(まもる)だ」と紹介する。 「以前は自衛隊の警務官だったのさ。 今は辞めて探偵業だ。 祖国の安全をこんな奴に託さなくて正解だ」 国東さんはゲラゲラ笑いながら腰を下ろした。 「城崎(きざき)君、か。 よろしくな」 大きな掌が僕の腕をブンブンと振り回す。 さすが元自衛官だけあって力は強い。 「ところでどうだった、今日は?」 国東さんの問いに由岐中主任は「ああ」とうなずいた。 「助かったよ、現行犯逮捕ができたのはお前のお陰だ」 「じゃあ今夜はたっぷりご馳走してもらうからな」 由岐中さんはしょうがないというように肩を竦めた。 「それよりお前はなんであそこにいたんだ? 事務所は新宿だろう?」 「張り込みだよ。 二日前にも張っているとき、同じバンが停まってたのさ」 国東さんは腰を下ろすと脇を通ったマッチョ男に酒を注文する。 「張り込み?」 「人妻の浮気調査をしてたところだったんだよ。 ちょうどあの前のビルにバレエ教室が入っててな。 そこへおれの対象者が娘を連れってってるんだ」 なるほどそういうことだったのか……。 国東さんは酒を飲みながら由岐中さんとの馴れ初めを語ってくれた。 警務官というのは自衛官の犯罪を捜査するいわばミリタリーポリスだ。 国東さんはとある自衛官が事件に巻き込まれたのを捜査したとき、現場で由岐中さんとやりあったのだそうだ。 「こいつはそのとき捜査一課にいてな」と国東さんが言ったので僕はえっと思った。 「捜査一課って本庁のですか?」 「あたぼうよ」 国東さんの答えに由岐中さんはちょっと顔をしかめた。 「六本木の前は本店だったんだよ」 ぶっきらぼうに言う。 「すごいですね!」 六本木署の前は警視庁だったなんて……。 僕は尊敬の目で由岐中さんを改めて見た。 同じ刑事でも所轄と警視庁ではまるで格が違う。 本店の刑事は刑事の中のエリート、いわばノンキャリのスターなのだ。 しかも花の捜査一課! 刑事ドラマでいうと主役級! 僕の理想だ! 『でもなんで今、六本木署なんだろう……』 栄転前の一時的な人事異動で本店から所轄署へ廻ることもないではない。 でもおおむね、格下のショカツに移動する場合は……。 『やっぱ、左遷かな……でもそれじゃあまるでドラマじゃん!』 考えていると、その間に国東さんと由岐中さんはどんどんアルコールを飲んでいる。 次第に僕のことは忘れたように声高になった。 おおむね国東さんが喋り、由岐中さんが相槌を打つ、という構図だが。 ふいに国東さんが僕のほうを見て「どうだ、こいつはいい男だろう」と尋ねる。 「こいつは男の中の男だ、義を重んじる、安心してついていけ」 由岐中さんは渋い顔で「馬鹿なことを言うな」とたしなめたが、国東さんは僕の肩をばしばし叩いた。 「見てくれは取っつきが悪そうだが、尻尾を振れば必ず可愛がってくれるぞ?」 「自分は犬ですか?」 わはは、と国東さんは笑う。 「だな、くーちゃん、かな? 眼もウルウルしてるしな、なあユキ?」 どういう例えなんだ……。さっきは猫で今度は犬。いや、「ジャジャ馬」とも言われたから馬もか。 憮然として由岐中さんをうかがうと由岐中さんは「そういえばそうかな」と僕をのぞき込む。 「だろう? ユキとおれの意見は一致したぞ」 ガハハと笑うと国東さんは今度は由岐中さんの肩を叩く。 由岐中さんはやれやれというように眉毛を上げ下げするが口元は笑っていた。 由岐中さんと国東さんは本当に気が合うんだ。 男の友情って奴だろうか。 なんだかうらやましい。 僕は「そうっすね」と話を合わせることにした。 「よおし、素直でいい子だ」 そして「おい、刑事になった動機はなんだよ」と血走った目で僕の顔を覗き込んだ。 「悪い奴をやっつけるためです」 幼稚園の頃からの答えを口にすると、国東さんがまたガハハと笑って由岐中さんを見た。 「いいねえ、若いもんは。 お前も昔はそんなことを言ってたよな」 「お互い様だ。 お前だって『国を守る誇り』なんて言ってたろうが」 由岐中さんは渋い表情でグラスを空けた。 「ま、お互い若かったってことだよな。 組織って奴は長い間、属してると色んなことが見えてくるもんだ」 国東さんの声音は皮肉でもなんでもなく、しんみりとした響きがあった。 警察組織が厳しい上下関係とピラミッド型の階級構造なことは、若輩者の僕でさえ良く知っている。 多分、自衛隊もそうだろう。 自衛隊を辞めた国東さんとショカツに降格された(のであろう)由岐中さんはなにか心が通じるのかも知れない。 そんな風に思いながら、僕は黙ってビールを横で飲んだ。
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