AIで楽曲を楽器やボーカルに分離する

2

「よし、これで今日は勘弁してやる」
由岐中(ゆきなか)さんの声が刑事部屋に響いたのはもう夜も十時過ぎだった。
すでに部屋には当直の刑事しか残っていない。
やっぱり見た目と同じに厳しい人なんだ……。
僕はもう疲れてふらふらだったが、これで解放されるのはありがたい。
急いで立ち上がった。
「失礼します」
お辞儀をしてきびすを返した僕の腕をしかし強い力が捕らえた。
「寮にはなんにもないんだろ?
 飯を奢ってやろう」
「ええっ、ほんとですか?」
「ああ。今日は良く働いたからな、ご褒美だ」
実を言えばふらふらなのは腹が減っているからだった。
今朝から何も食べていない。
「ありがとうございますっ」
僕の大声に由岐中さんはにっこりした。
警察署を出ると、さすがに六本木で、昼と変わらない通行人の多さだ。
由岐中さんは大股でどんどん歩き、六本木の交叉点から防衛庁の跡地を過ぎ、乃木坂を目指す。
七丁目まで行くとその辺りは猥雑な風俗店やら一杯飲み屋やらがひしめき合って、表通りのお洒落なオフィス街と別の表情を見せている。
客引きの多くが外国人で、歌舞伎町と違ってアフリカ系やアングロサクソン系も見られる。
きょろきょろ辺りを見回しながら歩いていると、いつのまにかちらしやポケットティッシュが手に押し付けられていた。
由岐中さんが振り返り、呆れ顔になった。
「確かに誰もお前のことを刑事とは思わないよな」
「いいじゃないですか、それってなにかの役に立つかも知れませんよ?」
思わず僕は言い返してしまい、由岐中さんはぎょろりと眼を剥いた。
「ふうん……驚いたな、言い返すとは。
 しかしそうかもしれんな」
言いながら由岐中さんは急に顔をしかめる。
怒り出すのかと慌てた僕の前でしかし携帯を取り出した。
「おう、お前か……なんだって……ああ、もう判ったよ!
 そっちへ行くって!」
由岐中さんは眉をぎゅっと寄せたまま携帯をしまうと大きく息を吐き出した。
そして「行こう」と僕を促す。
「あの……そっちって?」
僕が尋ねると由岐中さんは「奴のところだ」と嫌そうに答えた。
「やつ?」
「昼間、情報をくれた奴だよ。
 礼に奢れと言われた。
 近くのパブにいるから来いとさ」
その人のおかげで現行犯逮捕できたのだからお礼をするのは当然だが、なんでそんな嫌そうなのだろうと首を捻りつつ、僕は由岐中さんの広い背中を追った。
だが由岐中さんが入っていった店の看板を見て合点が行った。
「コ、コンセプトパブぅ? 『三沢基地』ぃ?」
ぎらぎらと電飾に縁取られたどぎつい色彩の看板にはそう描いてある。
そして階段を降りて地下の部屋に入った僕は、想像をはるかに越えるとんでもない光景にぎょっとした。
ただっぴろい店内はコンクリートの打ち放しで、そこかしこにはバズーカ砲やらロケット弾やらの模型が展示されている。
壁を飾るのはもちろん自衛官勧誘ポスターだ。
一画にある大きなモニターには、「陸自」「海自」「空自」の勧誘CMが交替で流れる。
そして盆を片手にあちこちを歩いているのは、上半身はランニング一枚に下は迷彩ズボンのマッチョな男たちだ。
女性従業員はみかけない。
客はほとんどが男性だ。
六本木に女性向けのマッチョ男がいる店があるって聞いたけど、どうもここはそうじゃないらしい。
ということはミリタリーオタク専門店なんだろうか? 
「おおーっ、由岐中!」
肩幅の広いスーツ姿の男が立ち上がった。
顎は尖って三角形のおむすびのような形の顔だ。
きりっとした細い眉に眼も細い。
醤油顔の二枚目だ。
歳は三十代後半か。
男は右手をさっと額に当て、かかとを鳴らした。
「主任どの、久しぶりであります!」
「やめろ」
由岐中さんは唸ると男のそばに近づいた。
「なんてとこだ。
 自衛隊を辞めてもまだこんなとこが好きなのか?」
「ふふん、お前の趣味にも合うだろうが」
由岐中さんはむっとした顔になり、僕はその時「はてな?」と思った。
男は僕に気がつくと「おおっ、新しい相棒か」と尋ねる。
「違う。
 実務研修の面倒を見てるんだ」
「へーっ、なかなか可愛い子じゃないか、セクハラするなよ?」
「誰がっ」
由岐中さんは本気で怒鳴り、僕を振り返った。
「このバカ男は国東(くにさき)衛(まもる)だ」と紹介する。
「以前は自衛隊の警務官だったのさ。
 今は辞めて探偵業だ。
 祖国の安全をこんな奴に託さなくて正解だ」
国東さんはゲラゲラ笑いながら腰を下ろした。
「城崎(きざき)君、か。
 よろしくな」
大きな掌が僕の腕をブンブンと振り回す。
さすが元自衛官だけあって力は強い。
「ところでどうだった、今日は?」
国東さんの問いに由岐中主任は「ああ」とうなずいた。
「助かったよ、現行犯逮捕ができたのはお前のお陰だ」
「じゃあ今夜はたっぷりご馳走してもらうからな」
由岐中さんはしょうがないというように肩を竦めた。
「それよりお前はなんであそこにいたんだ?
 事務所は新宿だろう?」
「張り込みだよ。
 二日前にも張っているとき、同じバンが停まってたのさ」
国東さんは腰を下ろすと脇を通ったマッチョ男に酒を注文する。
「張り込み?」
「人妻の浮気調査をしてたところだったんだよ。
 ちょうどあの前のビルにバレエ教室が入っててな。
 そこへおれの対象者が娘を連れってってるんだ」
なるほどそういうことだったのか……。
国東さんは酒を飲みながら由岐中さんとの馴れ初めを語ってくれた。
警務官というのは自衛官の犯罪を捜査するいわばミリタリーポリスだ。
国東さんはとある自衛官が事件に巻き込まれたのを捜査したとき、現場で由岐中さんとやりあったのだそうだ。
「こいつはそのとき捜査一課にいてな」と国東さんが言ったので僕はえっと思った。
「捜査一課って本庁のですか?」
「あたぼうよ」
国東さんの答えに由岐中さんはちょっと顔をしかめた。
「六本木の前は本店だったんだよ」
ぶっきらぼうに言う。
「すごいですね!」
六本木署の前は警視庁だったなんて……。
僕は尊敬の目で由岐中さんを改めて見た。
同じ刑事でも所轄と警視庁ではまるで格が違う。
本店の刑事は刑事の中のエリート、いわばノンキャリのスターなのだ。
しかも花の捜査一課!
刑事ドラマでいうと主役級!
 僕の理想だ!
『でもなんで今、六本木署なんだろう……』
栄転前の一時的な人事異動で本店から所轄署へ廻ることもないではない。
でもおおむね、格下のショカツに移動する場合は……。
『やっぱ、左遷かな……でもそれじゃあまるでドラマじゃん!』
考えていると、その間に国東さんと由岐中さんはどんどんアルコールを飲んでいる。
次第に僕のことは忘れたように声高になった。
おおむね国東さんが喋り、由岐中さんが相槌を打つ、という構図だが。
ふいに国東さんが僕のほうを見て「どうだ、こいつはいい男だろう」と尋ねる。
「こいつは男の中の男だ、義を重んじる、安心してついていけ」
由岐中さんは渋い顔で「馬鹿なことを言うな」とたしなめたが、国東さんは僕の肩をばしばし叩いた。
「見てくれは取っつきが悪そうだが、尻尾を振れば必ず可愛がってくれるぞ?」
「自分は犬ですか?」
わはは、と国東さんは笑う。
「だな、くーちゃん、かな?
 眼もウルウルしてるしな、なあユキ?」
どういう例えなんだ……。さっきは猫で今度は犬。いや、「ジャジャ馬」とも言われたから馬もか。
憮然として由岐中さんをうかがうと由岐中さんは「そういえばそうかな」と僕をのぞき込む。
「だろう?
 ユキとおれの意見は一致したぞ」
ガハハと笑うと国東さんは今度は由岐中さんの肩を叩く。
由岐中さんはやれやれというように眉毛を上げ下げするが口元は笑っていた。
由岐中さんと国東さんは本当に気が合うんだ。
男の友情って奴だろうか。
なんだかうらやましい。
僕は「そうっすね」と話を合わせることにした。
「よおし、素直でいい子だ」
そして「おい、刑事になった動機はなんだよ」と血走った目で僕の顔を覗き込んだ。
「悪い奴をやっつけるためです」
幼稚園の頃からの答えを口にすると、国東さんがまたガハハと笑って由岐中さんを見た。
「いいねえ、若いもんは。
 お前も昔はそんなことを言ってたよな」
「お互い様だ。
 お前だって『国を守る誇り』なんて言ってたろうが」
由岐中さんは渋い表情でグラスを空けた。
「ま、お互い若かったってことだよな。
 組織って奴は長い間、属してると色んなことが見えてくるもんだ」
国東さんの声音は皮肉でもなんでもなく、しんみりとした響きがあった。
警察組織が厳しい上下関係とピラミッド型の階級構造なことは、若輩者の僕でさえ良く知っている。
多分、自衛隊もそうだろう。
自衛隊を辞めた国東さんとショカツに降格された(のであろう)由岐中さんはなにか心が通じるのかも知れない。
そんな風に思いながら、僕は黙ってビールを横で飲んだ。


国東さんを残し、パブを出ると、由岐中さんは「送っていこう」と言う。
「ええっ、大丈夫です、幾ら今日初めてでも一人で帰れます」
だが由岐中さんは僕の腕を捕らえて放さない。
「初日からチャカをぶっ放す奴を、野放しにはできん。
 酔っ払って帰る途中、いざこざに巻きこまれたら今度こそ、おれも一緒に首が飛ぶ」
さっき庇ってくれた恩もあり、僕は申し出を受けることにする。
そして「先輩はどちらなんですか」と尋ねた。
「おれもこの近くのマンションだ」
「ということは……結婚されているんですか?」
独身の警官は実家か寮に住むよう決められている。
例外はあるものの結婚して家庭を持つなどの理由が無い限り、おいそれと寮から出ることは許してもらえない。
驚いたことに由岐中さんはまだ独身だった。
数少ない例外の一人なのだ。
「いいですねえ。
 寮は通勤には便利ですけど、門限があるのがちょっと……」
独身寮の規律はかなり厳しい。
外泊届も出さねばならないのだ。
夜遊びもままならない。
僕のうらやましそうな声に由岐中さんは大声で笑った。
「じゃあ、ちょっとおれのところでも見に来るか?」
お酒の入った由岐中さんは気安くなっていて、さっさと僕の返事も待たずに歩き出す。
いいのかな……。
でもまあ、せっかく言ってくれてるんだからいいんだろう。
僕はおとなしく後をついていった。
六本木署とは反対に、乃木坂のほうへと由岐中さんは歩いていく。
五分ほど歩いて、古い大きなマンションの前に立ち止まった。
「ここだ」
背の高いシュロやその他名前も知らない木の植わった大きな前庭がついていて、真っ白な四階建ての低層だ。
奥まったところにあるエントランスには紺色の制服を着た男が立っている。
よくある高層の新築マンションと違って、いかにも由緒ある高級住宅だ。
前に勤務していた高級住宅地の国立にだって、なかなかこんなマンションはなかった。
「すげーっ! マジかよっ」
驚きのあまり地が出てしまい、由岐中さんはぎょろりと眼を剥いたがそのまま中へと入っていく。
「築三十年以上は経ってるんだけどな。
 昔はこの辺りの大使館なんかに勤める外国人専用のアパートだったそうだ。
 最近は日本人も住んでるけどね」
「なーる……それでガードマンがついてるんですね」
由岐中さんがそれを聞いて「ガードマンじゃなくてドアマンだ」と訂正した。
「はあ……」
僕は由岐中さんの正体について首をひねりながらあとを追う。
玄関ロビーにはホテルのフロントのような一画があり、黒服を着た男が挨拶をした。
「あれはコンシェルジェ」
先回りして教えられる。
由岐中さんはそのコンシェルジェの前を通り過ぎ、一階の前庭に面した長い回廊を歩いて一番奥の扉の前に立った。
中に入ると僕はさらに驚いた。
外見と同じように超豪華な部屋だ。
広いリビングにはペルシャ絨毯が敷き詰められ、シャンデリアがきらきらと煌めいている。
壁際のサイドボードには高そうな壺やら陶器の人形やらが飾られている。
まるで高級ホテルみたいだ。
実際泊まったことはないけど。
「先輩って、ほら、小説にあるみたいにひょっとしてどっかの御曹司なんですか?」
思わず僕は由岐中さんの顔を仰いだ。
由岐中さんは肩をすくめて否定の仕儀をする。
「違うよ、ここはおれの伯父貴の持ち物なんだ。
 たまたま貸してもらってるだけだって」
それでも僕なんかと違ってお金持ちの親類がいることは確かだ。
僕はきょろきょろと辺りを見回しながら由岐中さんが指した革張りのソファに腰掛けた。
「うわーっ、これってイタリア製じゃないかな……」
確か、ファッション雑誌で同じデザインのを見たことがある。
有名なトレンディ俳優の部屋を紹介した記事だったっけ。
そんなことを思い出している間に由岐中さんはキッチンとおぼしき部屋へ入っていき、やがてコーヒーカップを手に戻ってくる。
「飲め。初日から酒臭い息で寮に帰るのもなんだからな」
ありがとうございます、と僕はカップを受け取りうっとなった。
「こ、これってインスタントコーヒー……」
両親がペンション経営をしていたおかげで、色々手伝いをさせられていた。
コーヒーを煎れるのは僕の役目で、豆には詳しくなっていたのだ。
香りでインスタントとドリップの区別ぐらいは付く。
「充分だろうが」
由岐中さんはなんでだ? という顔をして口を付けた。
「い、いえ……」
部屋の雰囲気からコーヒーメーカーで作ったコーヒーを想像していたのだが……。
とは言えず、僕も一口飲んだ。そして目の前で美味そうにインスタントコーヒーを飲んでいる由岐中さんに尋ねてみることにする。
「先輩はなんで刑事になったんですか?」
「おれか?」
由岐中さんはマグカップを大理石のテーブルに置く。
「おれの場合は単純明快。
 親父が警官だったからだ」
身内が警官で自分も目指す、という人は多い。
なるほど、と僕は思った。
「お父さんは刑事さんですか?」
「いや、駐在所勤務でね、というか、だった」
由岐中さんはふっと目を天井へと遣った。
「『だった』って……」
「親父はおれが十一の時に殉職してな」
あっ、と由岐中さんは掌を左右に振る。
「残念ながら強盗犯を捕まえる際に、なんてかっこいいもんじゃないんだ。
 大雨の時に近くの集落へ危険を知らせに行ってね、そこで土砂崩れに巻き込まれたんだ」
「それは……」
僕は中学の頃世話になった駐在夫婦の顔を思い浮かべた。
地域に密着して、本当に親身になって町の人たちにつくしてくれていたっけ……。
お祭りの時には率先して準備をし、当日は夜中、いや明け方まで道に立って交通整理をしていた。
由岐中さんのお父上もそういった駐在さんだったのに違いない。
「あーっ、なんだか腹が減ったなー。
 ラーメンでも食ってくれば良かったな」
由岐中さんは大声を出すとまたキッチンへ入っていく。
やがて今度はカップ麺を手に戻ってきた。
「ダイスケ、お前も食うか?」
僕はぷっと噴き出してしまった。
「なんだよ」
由岐中さんは怪訝な顔になる。
「いえ、先輩はちゃんと普通の人なんだな、と安心したんです」
なんだか部屋の雰囲気に飲まれていたようだ。
見た目と中身は違うと今日悟ったばかりなのに。
「お前さ、『富豪刑事』なんて小説だけだぞ」
呆れ顔になった由岐中さんに僕は「いただきます」と手を差し出した。
「じゃあ、これを食え」
由岐中さんは自分の分を取りに再びキッチンへ戻っていった。
「では乾杯!」
由岐中さんは麺のカップを僕のと打ち付け、にっこりする。僕はなんだか胸が熱くなった。
この先輩にはついていけそうな気がする。
そう、さっき国東という人が言った通りだ。


寮に戻ると僕は今日起きたことを回想してみた。
初日、というかまだ研修は始まっていないのだが、この六本木署で頑張ろうと思う……。
警官になって色々と先輩の話を聞いた。
国立署では刑事志望だったから刑事部屋にもしょっちゅう顔を出し、先輩たちの経験談に耳を傾けた。
共通して言えるのは、どの人も「尊敬する先輩」について熱く語ることだった。
そういった先輩に出会うことがいかに大切かも。
「名刑事ってのは必ず『人生の手本になる先輩刑事』がいたと言うもんだ。
 いい出会いがあればそれがお前の一生を左右する」
そうも言われた……。
由岐中さんは「尊敬する先輩刑事」になりそうだと僕は考えながら眠りに落ちた。

 

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