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目を覚ますと由岐中(ゆきなか)さんがホットミルクを用意してくれた。
僕が飲み終わると「だいぶ顔色が良くなったな」と僕のおでこを触った。
昨夜のことを思いだし、僕はちょっと身体を退く。
なんだか照れ臭い。
あそこまで見られたし、その上、手の中で……。
「おいおい、どうしたんだ?」
由岐中さんは明るく笑い、僕は二人の間がまったく変わっていないことを確信してほっとする。
由岐中さんが出勤したあとはそのまま部屋で一日眠って過ごした。
「痛くなったらこの座薬を入れろ」
由岐中さんが枕元に用意してくれたが、それを入れるとぼんやりとして眠くなってしまうのだ。
夕方になってやっとベッドから這い出ると、今度は着る服がない。
「困ったな……」
何しろ下着は血だらけ、スーツはゲロだらけなのだ。
知らない間に着せられていたパジャマは由岐中さんのだが、ノーパンだった。
なんてことだ。
仕方なくノーパンのまま「何か食わせろ」と文句を言う腹を抱えてキッチンへ行ってみた。
冷蔵庫にはビールと塩辛、それにマーガリンぐらいしか入っていない。
戸棚を開けてカップラーメンを見つけ、これをいただくことにした。
だが食べ始めると僕は参った。
「二日酔いの時みたいだ……」
ときおり急に吐き気が込み上げる。
それでも「食わなきゃ治らない」と言い聞かせ、なんとか平らげる。
ふらつく身体で再びベッドに潜り込んだ。
八時過ぎ、扉の開く音がして、やがて由岐中さんが昨夜の緒方(おがた)医師と共にベッドルームへ入ってきた。
緒方医師はすぐに往診鞄を開けて準備を始める。
「ユキ、外へ出てろ」
由岐中さんは憮然とした顔になったが、緒方医師の命令に素直に応じる。
僕は内心ほっとした。
やっぱりこんなカッコ悪いところは見られたくない。
手当をしながら緒方医師は「ユキに訊いたんだが、君はノンケなんだって?」と言う。
「はい、バリバリ普通です」
「それは……かなりショックだったろう」
はい、と僕はうなずく。
「なんだか……もう男じゃなくなったようで……」
暗い声の僕を手当てしながら、緒方医師は「それは違う」と否定した。
「自分より強い力に抵抗できないのは男も女も同じだ」
「それは……そうですね」
「さらに性的暴力は被害者には一切落ち度がない」
緒方医師はきっぱり言う。
「君もあまり落ち込むな。
ユキが心配している。
自分のせいで君が傷ついたと」
手当を終え、緒方医師はアルコール綿で手を拭きながら僕の顔を覗き込んだ。
「はあ……」
僕は上体を起こすと緒方医師を見上げた。
昨夜は動転していてあんまり良く見なかったが、レンズ越しの澄んだ眼、色白の肌、随分と二枚目の医者だ。
なんで由岐中さんの傍の男ってみんなこうカッコいいんだ?
にっくき景山(かげやま)だってやたら綺麗な顔をしている。
考えていると由岐中さんが入ってきた。
「どうなんだ、ハル」
「まあ、このままでも大丈夫だろう。
けど、完治まではだいぶかかるな。
やるのはうんと後にしとけよ」
由岐中さんは真っ赤になった。
「違うって! こいつはノンケなんだから!」
「冗談だ」
緒方医師はにこりともせずに応じた。
「お前の冗談は昔から笑えん」
「お互い様だ」
緒方医師が帰ると、由岐中さんは黙りこくった僕をじっと見る。
「どうした、ダイスケ」
「その……」
由岐中さんは僕の目の前の椅子に腰を下ろす。
「おれのこと、恨んでるのか?」
「そんなんじゃないんです……」
僕の頭にあったのは別のこと。
たった今、二人の間で交わされた親しげな会話だった。
なんでこんなことが気になるんだろう……。
「その……緒方先生とは友達なんですか?」
ああ、と首が教える。
「高校の同窓生でね……おれの性嗜好のことも知ってるんで、よく相談に乗ってもらってる」
やりとりから予想していたことだが、それだけでは満足できなかった。
僕は思わず口に出す。
「だったら緒方先生もあっちなんですか?
景山とみたいに関係があったんですか?」
「バカ! そんなんじゃない、あいつは……その、シンコウの恋人だ」
ええっ、と僕は眼を丸くする。
「新藤(しんどう)刑事、ですか? 本当に?」
「こんなことで嘘をついてどうする」
なぜか僕はほっとしていた。
つい軽く「六本木署はホモ率、高いんですね」と言ってしまう。
「バカッ」
また由岐中さんが唸る。
「おれの知る限り、おれとシンコウだけだよ。
まあ、ゲイ友の会、なんてのがあるわけじゃなし、他にもいるかも知れないがな」
僕はいささか投げやりな気分になっていた。
「いいんですよ、あったら僕も入会しようかな、
もうどうせオカマ掘られちゃったんだし」
「おれのせいだ、すまん」
由岐中さんは頭を下げる。
僕は慌てて「先輩のことを恨んだりしてるんじゃないんです」と言った。
「緒方先生は『性的暴力の被害者には一切の落ち度がない』と言ってました。
先輩が心配してるから元気を出せ、って」
「そんなことを……あいつが……」
由岐中さんは膝を乗り出し、僕の頬を手で触る。
太い指が僕の唇をなぞっている。
「その……」
接近してくる顔に僕は尋ねた。
「なんで先輩は自分のことが好きなんですか」
うう、と由岐中さんが唸った。
「訊くか、そんなこと、こんなときに!」
由岐中さんは立上がると隣の部屋からウィスキーとグラスを持ってきた。
どぼどぼと注ぎながら「訊かれたら答えなきゃならないだろ」と唸る。
「その……おれの弱点なんだよ」
「はあ?」
意味が判らず首を傾げると、由岐中さんは「やめろ、そういった目でおれを見るのは」と唸って両手で顔を覆った。
「まったくもう、バカだよ、おれは……とことん女顔に弱い。
景山もそうだけど特にお前みたいな、な」
はあ? と僕はもう一度首を傾げた。
「自分は確かにあんまり男らしくはありませんが、女顔とは心外です」
そりゃ、ピンクレンジャーに例えられることはあっても。
むっとして反論する。
「お前、鏡で自分の顔を良く見ろ」
由岐中さんはぐいとウィスキーを煽り、僕を横目で睨む。
「とにかく……大島課長から拝命を受けたときから嫌だったんだ……おれのもろツボだったからな。
でもそれだけじゃない。
会って一時間で拳銃はぶっ放すは、景山を引き寄せるは……とんでもないジャジャ馬なのに元気で仕事熱心、そして健気ときてはな……まいったよ、お前には」
これはかなり濃厚なコクリだ。僕は頬が熱くなった。
「お前、今まで本当に気が付かなかったのか?」
僕は首を大きく横に振る。
確かに時々、なにやら変な雰囲気だとは思ったが……。
「だって先輩は男らしくて、まさかそんな眼で自分を見るなんてありえないと」
「お前、それって偏見だ。
ゲイはみんな、男の腐ったのか、え?」
あっ、と僕は最敬礼をする。
「失礼しました、決して先輩をバカにしてるわけじゃありません!」
由岐中さんの手が再びボトルへと伸びた。
「ダイスケ、お前のそういったところが……」
首を振ってその先をやめる。
どんどん酒量が増えていく由岐中さんを見ながら僕は戸惑いつつ今までのことを振り返ってみる。
じゃあ、ここに泊まったときも……その、温泉に入ったときも……。
知らなかったとは言え、随分と挑発してしまったのかも、と僕は初めて気づいた。
布団に入ったあと、腰を揉んでもらったことも思い出す。
「ええと、あのお、腰を揉んでくれたのは、ひょっとしてセクハラ?」
「バカッ」
由岐中さんは本気で怒鳴った。
「だれがそんな卑しいことをするか!
あれはダイスケ、お前が本当に痛がってたからだっ」
「すみませーん」
僕が頭を下げると由岐中さんは口をへの字にする。
「いいからこれ以上訊くな」
「すみません、自分のせいで居心地悪くしましたか?」
「そういうことは訊くなって。
おれは正直だから訊かれれば答えなくちゃならない」
すみません、ともう一度僕は謝った。
尊敬する先輩だが、僕にその気は全くない。
大切に思ってくれているのは嬉しいし、緒方医師とは単なる友達だったのも嬉しい。
それから昨日、扱かれたのは気持ち良かったけど、あれはラリってだだけだ。
でも僕はホモじゃない。
今までもそうだったし、これからも多分。
「由岐中先輩のことは好きですし、とても尊敬してますが、自分はゲイではありません。
偏見はないですけど男にはムラムラしませんから」
「はあ?」
今度は由岐中さんが変な顔をする。
「ムラムラってなんだ?」
「つまりその、ええと、お相手はできないと言うことです」
この顔のせいかどうかは知らないが、今まで何回か同性にコクられたことがある。
そして何度も言った同じ言葉を僕は口にした。
女性なら気のない相手でもマグロのように寝ていればいいだけだが、両方とも男ではその手のごまかしは利かない。と、思う。
「例え好きでもムラムラこなくっちゃ、男とはできないでしょう?
男はそうできてますし。
自分は駄目なんです」
由岐中さんは大きく溜め息をついて視線を逸らす。
「ダイスケ……お前……それが天然だって言うんだ」
意味が判らず僕は首をひねる。
「もういい、ダイスケ、寝ろ」
話をしたために疲れたようだ。
ベッドに潜り込むとすぐ瞼が重くなってくる。
時々眼を開けると、まだ由岐中さんが僕の傍にいて、手を握ってくれる。
今夜、僕は何も夢を見なかった。
次の日、由岐中さんは非番だった。
朝からあちこちに携帯で連絡を入れている。
僕のほうはまだ身体中の筋肉が痛んだが、手当と薬のせいでなんとか歩けるようになっていた。
身なりを整えてリビングに出ると、
「これなら一緒に行けるな、ダイスケ」
「行く? どこへです?」
由岐中さんは表情を引き締める。
「大坪(おおつぼ)のところだよ。
このままじゃすまさん。
大事なお前を傷つけられたんだからな」
その言葉に僕は妙に嬉しくなった。
大坪邸に着くと、由岐中さんはインターホンで「六本木署の由岐中助です」と名乗った。
すぐに門が開いて、待っていたのは紗耶香(さやか)だった。
「由岐中さん、ご無沙汰してます、六本木署にいらしたんですね!」
紗耶香は嬉しそうな声で言う。
そして由岐中さんの後ろに僕を認め、眼を丸くした。
「永瀬(ながせ)さん……いったいなぜ」
僕は頭を下げる。
「すみません、自分は城崎(きざき)大輔(だいすけ)といって刑事です」
紗耶香の眼がますます大きくなった。
「紗耶香さん、ちょっと話がしたい」
由岐中さんに呼びかけられ、はっと紗耶香は視線を戻す。
「ごめんなさい、こんなところにお引き留めしてしまって……入ってくださいな」
応接間に通されると由岐中さんは紗耶香に僕のことを説明した。
たまたま誘拐されそうになったのを目撃し、助けこと。
紗耶香が「警察に届けないで」と言ったことで何か事件に巻き込まれていると感じ、身分を隠したこと。
僕は「決してあなたを騙すつもりじゃなかったんです」と口を挟む。
「刑事さんだったなんて……全然そういう感じ、しなかったから……」
紗耶香は口ごもる。はっと顔を上げ、僕を見た。
「じゃあ、一昨日のことは……」
紗耶香は景山に「永瀬というのは本名じゃない、あいつは敵方だ」と言われたのだった。
「この家に入り込むためにお前を騙したのだ」とも。
「あいつを呼び出せ。私が取り調べる」
景山に言いくるめられ、紗耶香は僕の携帯に電話したというわけだった。
「紗耶香さん、そのためにこいつは拷問を受けたんですよ」
「ええっ」
紗耶香はじっと僕の蒼白な顔を見る。
「そんな……ごめんなさい……あなたにはあれほど親切にしていただいたのに」
紗耶香は深く頭を下げ、きっと由岐中を振り返った。
「どういうことなんでしょう、嘘までついて正義(まさよし)さんは何を考えてるんでしょうか」
「それだよ、おれは真相を知りたい。お父上と話せないかな」
やがてゴルフズボンにポロシャツ、ウールのベストをいうリラックスした姿の大坪政彦が、紗耶香と一緒に入って来た。
庭で練習でもしていたのか、手にはパターを持っている。
この前とはうって変わって目元も口元も和らぎ、自信に満ちている。
いかにも証券会社の社長という貫禄で、何か好展開があったのだと僕は感じた。
僕と由岐中さんを見て少し気まずげな表情を浮かべる。
「由岐中君、どうしてここへ来たんだね」
由岐中さんは立ち上がると深々と礼をした。
「ご無沙汰してます、大坪さん。おれは六本木署の刑事として来ました」
「何も面倒は起こっていないよ」
大坪は素っ気なく言い放つ。
すると紗耶香がきつい声で口を挟む。
「お父さん、お願いだから本当のことを言って。
この刑事さんは紗緒里(さおり)や私を助けてくれたんですから。
それに私だって知る権利があるはずよ、たとえ私のせいでこんなことになったのだとしても」
大坪は僕たちの前のアームチェアに渋々腰を下ろした。
「判ったよ、紗耶香……」
どうも父親は娘には弱いものらしい。
大坪は口を開いた。
僕たちの推理通り、ベンツから盗まれたパソコンにはデータが入っていたのだ。
だがそれはパーソナルバンクの顧客情報よりずっと重要なものだった……。
時おり厳しく紗耶香に促され、大坪は「割引国債を知っているかね」と由岐中さんに尋ねる。
「もちろんですとも、T内閣の金庫番と呼ばれた男が金庫に隠していた奴ですね」
怪訝な顔をしている僕に由岐中さんが「ずいぶん前だから知らないか」と頭を掻いた。
「もう鬼籍に入ったが、所属する派閥の金庫番と呼ばれた大物政治家が脱税で逮捕されたことがあった。
おれの実家の選挙区から出た奴だったから良く覚えてる。
政治資金を割引国債に換えて金庫に溜めてたんだ」
「割引国債と脱税とどう関係するんですか?」
由岐中さんが丁寧に説明してくれる。
「割引国債は隠し資産としてもっとも重宝されてる。
しかも政治家御用達でね。
汚い言葉だが『政界の痰壷』とも影で呼ばれるくらいだ。
悪徳証券会社だったら一番に勧める商品だよ」
大坪は渋い顔になる。
「しかも無記名でできる。
持ち主の名前は表に出ないんだ」
「ということは……闇の取引に利用されるんですね?
それをオセアニックスターファイナンスでやってたんですか!
うわー悪質!」
大坪はもっと渋い顔になったが僕たちにうなずいて見せた。
「そうだ……会社のコンピュータには入れられない、もっとも個人的な取引を私はパソコンに入れて常に持ち歩いていた」
大坪は説明を始めた。
そこには政治家個人のデータが入っていた。
複数の政治家が大坪に無記名の割引国債を預け、それを大坪はパーソナルバンクの口座としてとある都市銀行の貸金庫に入れていた。
そこに置かれた国債は、金庫から出し入れのないまま、名義だけが変更される。
元々「無記名の割引国債」であるから、違法ではない。
だが換金されればそこに税金がかかる。
違法行為すれすれのところで、節税の名の元によく行なわれる取引を大坪はしていたのだ。
そして換金はパーソナルバンクの名で行なわれ、真の持ち主は非課税だった。
「紗耶香に一日だけ貸したことで、まさか車上荒らしに遭うとは……」
紗耶香が盗難届を出したことにも慌てた。
一応パスワードでデータは守られていたから、パソコン本体を故売屋に売りさばいて換金することはあるだろうが、車上荒らしをするようなチンピラがデータにまで手をつけることはないだろう。
それにもし、パソコンが警察の手で見つかったとき、盗品届けを出していたらかえってデータを知らべられてしまうかも知れない。
そう思って急いで届を取り下げた。
「そういうわけだったんですか……」
塩路係長が「おかしい」と思ったのはやはり正しかったのだ。
データのバックアップは別なところに取ってあったから、たかだかパソコンが盗られただけと諦めるはずだった。
「ところが……それだけでは済まなかったんだ」
「それが○龍会ですね」
由岐中さんの言葉に大坪政彦は黙ってうなずく。
車上荒らしは偶然ではなかったのだ。
○龍会は大坪のPCと知って、それを盗んだ。そして。
「データの開示をしない代わりにマネーロンダリングを手伝うよう、言われたんじゃありませんか?」
はっと大坪は顔を上げ、「その通りだ」と呟いた。
「そんなこと、できるわけない……だがもし、私と取引をした政治家の名が出たら、信用が失墜するどころか、紗耶香の夫も終わりだ。
どっちも選べない状態に私は陥った」
それはそうだろう、奥さんの父親がマネーロンダリングを手伝ったら。
もしくは裏資金の暴露の発端となったなら。
どっちにしろ紗耶香の夫に相談できないことは確かだ。
大坪は溜息をついてリビングの奥を振り返る。
その視線を追ったがそこには誰もいない。
僕はまた目の前の大坪に視線を戻す。
紗耶香がまた「お父さん!」と促した。
「君にもわかるだろう、こうなったら景山君に頼むしかなかった……
彼はちょうど、警視庁にいるからね」
景山は親身になって心配してくれ、相手をつきとめるから時間を稼げといった。
そうこうしているうちに脅迫の手は次第に紗耶香の周りにも近づいていった……。
「それであの誘拐未遂だよ」
大坪は紗耶香の手を握る。
「だがとにかくもう解決したんだ、由岐中君、このことは内密にしてくれ」
「解決した?
どういうことです」
由岐中さんはぐっと膝を乗り出す。
大坪はせわしなく眉を上げ下げしながらあさってを向いた。
「なるほど……時間を稼いだのはそのためですか。
金庫の中のものを始末するための時間を……」
由岐中さんが苦々しげに言い、僕はあっと思った。
若輩者の僕にはそこまでの姦計には及ばなかった。
「実物を移動させたとしても、名前が出ることは政治家にとってはありがたくないはずだ。
そこはどう、始末をつけたんですか。
取引のネタはなんです」
由岐中さんは厳しく追及する。
「もう勘弁してくれ」
「そうはいかない」
由岐中さんがきっぱりと言った瞬間。
「君には関係ないだろう」
奥から声が響き、由岐中さんは立ち上がった。
「景山、お前が取引したんだな」
景山は今日はなんと制服だった。
左胸のポケットのところには「警視正」の階級章が燦然と輝いている。
隅から隅まで金ぴかだ。
澄んだ眼も爽やかでいかにもバリバリのエリート。
けど、一皮剥けば最低の男なんだ。
僕は力一杯睨みつけてやった。
景山は痛痒も感じないようで、僕に笑みさえ投げかける。
紗耶香が景山に近寄り、頬を染めて「どうして嘘を言ったの?」と尋ねる。
「城崎さんは刑事さんだったのに。ひどいことをしたんですって?」
「紗耶香、何を言うんだ、彼の顔を見たまえ、どこもなんともなってないだろうに」
景山はまたにっこりと笑う。
由岐中さんに近寄った。
「取引だって?
何のことやらさっぱり判らないなあ、ユキ」
「言わなくても想像はつく」
景山を睨んで由岐中さんはぴしゃりと言った。
「お目こぼしだろう」
「まあ、そういうことだ。
こっちで話そう」
景山は庭へと出て行く。
僕たちはあとへ続いた。
さっきまでの話の内容にまるでそぐわない、秋の晴天だ。
庭の木々は僅かに葉を色づかせ、夏から秋へと確実に季節が変わったのを教えている。
広い芝生の上を歩いていると、ワンワンと元気な吼え声と共に、レトリバー犬が駆け寄ってきた。
ちぎれんばかりに尻尾を振り、僕に飛びつく。
僕の顔をペロペロと舐めた。
前を歩いていた景山が振り返って冷たい眼で僕を見る。
「紗緒里もこの馬鹿犬もなんで懐くんだ……お前は本当にむかつく」
由岐中さんが僕の肩を抱き、自分の後ろへ押しやる。
「くだらないことを言っていないで、早く話せ」
「近く一斉を行なう予定だ。
銃刀法違反で下っ端を引く。
代わりに幹部を大量に釈放する」
だが由岐中さんは眉を寄せ、きっと景山を睨む。
「その程度の取引でマルBが一端掴んだ強請りの手を緩めるとは思えないな。
特に相手は○龍会だ」
景山はニヤリと笑うと、傍の金木犀の枝に触れた。
オレンジ色の小さな花をむしり取る。
「そうか……」
由岐中さんが大きく息を吐いた。
「マネーロンダリングを見逃したのだな……それなら納得がいく。
闇金で集めた金は三十億はくだらないだろう。
それを海外へ移せるんだったらけちな脅迫よりずっと効率がいいからな」
それには応えず、景山は再び僕に目を移した。
薄い唇をゆがめ、足の先から頭のてっぺんまでゆっくりと視線を移動させる。
「どうだった、男の味は。
こいつよりよかったか」
僕が拳を握り締めるより早く、由岐中さんが動いた。
あっと思う間もなく、景山は芝生に転がっていた。
うわーっと僕は心の中で叫んだ。
キャリアを殴るなんて……。
唖然としたが、由岐中さんは「殴り足らん」と唸った。
「ダイスケはもっと痛い目に合ったんだ!」
「二度目だな、殴られたのは」
景山は顎を摩りながら芝生の上から上半身を起す。
「君だけだよ、私を殴るなんて不遜な奴は」
クスクスと笑い続け、ねっとりとした眼で由岐中さんを見上げた。
「ユキ、相変わらずいいパンチだ……震えが来るね。
私のところへ戻って来い」
由岐中さんは足元に唾を吐くと「来い、ダイスケ」と僕を呼ぶ。
「もうここに用はない」
門まで僕たちを見送ったのは紗耶香一人だった。
「ごめんなさい……由岐中さん、それに城崎さん」
気にしないでくださいと僕は言った。
景山が僕を眼の敵にするのは紗耶香のせいではないのだ……。
「そうじゃないの……父も悪かったのだけれど、私にも責任があるわ」
紗耶香はきっぱりと言う。
いつもの「深窓のお嬢さん」ではなく、眼には真剣な光があった。
「紗耶香さんに責任はない」
由岐中さんは否定したが、紗耶香は首を振る。
「もともと、父に沢山の政治家を紹介したのは鈴木代議士なの」
「それは本当か」
由岐中さんの表情が一瞬険しくなった。
「ええ、それに明夫さんも鈴木代議士の依頼を受けるようにと、父にお願いしたの。
明夫さんは普通の資産運用だと言っていたけれど……あの人もまさかこんなこととは知らなかったのだと思うわ」
「君の旦那の雇用主に頼まれれば、大坪さんとしても断りきれなかったんだろうな」
紗耶香は門の前で立ち止まり、僕の手をぎゅっと握った。
「また紗緒里と遊んであげてくださいね」
僕は必ず、と答えた。
道を歩きながら由岐中さんに「景山ってマゾですかね」と尋ねてみた。
さっき、由岐中さんに殴り倒された景山はどう見ても嬉しそうだったのだ。
それに僕に唾を吐きかけられたときも。
「お前な……」
由岐中さんは歩みを止め、首を横に振った。
「いいや、あいつは究極のサドだよ。
殴られた屈辱を噛み締め、今度はいかにおれを痛めつけるかの材料にするんだ」
「ということは……」
僕はベッドの二人を想像してしまう……。
SMプレイをやっていたのだろうか?
景山がSだとすれば、当然M役は由岐中さんなわけで……。
うう、なかなかすごいかも。
「おい、何を想像してるんだよ!」
由岐中さんは顔を真っ赤にして怒鳴った。
「あ、判りましたか?」
「当たり前だろう!
いいかげんにしろ!」
だって、と僕は言ってみた。
「ほら、ロシア大使館の近くに、超有名なSMラブホがあるじゃないですか、あそことか使ったりしたんですか?」
「だからそういう趣味はないんだ!」
ああ、と僕は納得する。
「それが景山は気に入らなかったとか?
で、別れたんですか?」
「うう……」
由岐中さんは唸ると、大股に歩き出す。
「待ってください、先輩」
僕は小走りにあとを追った。
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