AIで楽曲を楽器やボーカルに分離する

7

まだ姿の見えない相手側が動いたのは月曜の朝だった。
僕は八時半に大坪(おおつぼ)家のベルを押した。
遠くでリッキーの元気な吼え声がしたが、いつものように門扉まで駆け寄ってくる姿はない。
そして僕を迎え入れたのは、いつもは朝早く迎えの車で出かける大坪社長だ。
大坪政彦(まさひこ)の顔は強張っていて、軽く会釈をし、僕を母屋へと導いた。
「永瀬(ながせ)君といったね、紗耶香(さやか)から聞いている。
 世話になっている」
雰囲気にただならぬものを感じ、僕は「何か変わったことがありましたか」と尋ねる。
大坪政彦は歩みを止め、芝生の上を指差した。
「メイドが朝、発見したんだ」
青々とした草に黒いぼろきれのようなものが転々と落ちている。
視力の良い僕にはそれがカラスの死骸だということはすぐに判った。
「こんなものもそばに落ちていた」
大坪はビニール袋を手渡す。中には肉片が入っていた。
「犬を狙ったのでしょうね」
大坪もうなずく。
「うちの犬は躾がいいから拾い食いはしない。
 それで助かったんだ」
「この肉は知り合いに頼んで調べてもらいましょう」
僕はビニール袋をジャンパーの内ポケットにしまった。
「お嬢さんたちは?」
「中にいる」
僕は応接間で宇津木(うつぎ)紗耶香に会った。
「二、三日、出かけないほうがいいでしょう」
宇津木紗耶香は素直にはいと言った。
だが何か変だと僕は感じた。
『普通、飼い犬を毒殺されかかったらもっと怯えてもいいはずだ』
宇津木紗耶香の表情は強張ってはいたが、以前のようなおどおどとした感じは消えている。
玄関へ戻ろうと、応接間を出ると、背後で大坪が「マサヨシ君にもう一度電話しよう」と言っているのが聞えた。
マサヨシ、あのモデルか俳優のような色男だ。
彼に助けを頼んだのだと直感した。
それで紗耶香は安堵しているのだ。
だがそうすると、あの男は何者なのだろう。
まず、紗耶香の浮気相手ではないことは確かだ。
父親の大坪が娘の浮気を黙認しているはずもなく、さらにその相手に助けを求めるのも変だ。
『ひょっとして……』
僕の頭に閃く。
もしかすると、最初の最初から僕は間違っていたんでは。
僕は紗耶香が狙われてると決めつけていたけれど……本当に敵の目標は紗耶香だったんだろうか……。
僕はちょうど六本木署に戻っていた由岐中(ゆきなか)さんに合流し、僕の推理を話した。
刑事部屋には他の人がいるため、僕たちは給湯室に行ってこそこそと囁きあった。
「紗耶香さんは安心したとまでは言いませんが、ほっとした様子でした」
だが自分と娘が狙われているのだとしたら、助けを求めただけで簡単に安堵するだろうか、と僕は思ったのだ。
「それはつまり、脅されているのは紗耶香さんではなく父親だからではないでしょうか」
父親が何らかの解決手段を講じたのなら、もう自分と娘は安全だ。
そう紗耶香は感じているのではないだろうか。
国東(くにさき)さんは紗耶香は夫の不利益になることで脅迫されているのでは、という可能性を指摘していた。
スキャンダルめいたことや父親に関係したことでは、とも。
「もう一歩進んで、紗耶香さんではなく、父親が脅迫されてるとしたら。
 紗耶香さんはその巻き添えで誘拐されかかったのではないでしょうか」
原因が実の父で、しかもスキャンダル絡みだったら。
「夫にも相談できないし、その、従兄とかいう景山という人にも……」
由岐中さんはぴくりと眉を動かし、僕の手からビニール袋を指でつまみ上げた。
「それはあり得るな……たかだか人妻の浮気で毒入りの肉を撒くと言うのも変だ。
 ストーカーならやるかも知れないが、誘拐未遂など手がこみ過ぎている」
社長という社会的立場にある大坪政彦のほうが脅迫を受ける可能性は高い。
「セルシオに乗っていた暴力団風の連中も、企業を脅迫する総会屋と考えれば納得が行くな」
「やっぱり暴力団関係ですかね」
とりあえず、と由岐中さんは鑑識に連絡を入れる。
「何の毒かは調べておこう」
午後遅くから、僕たちはこの前逮捕したコンビニ強盗の実況見分に立ち会うことになっている。
結果を携帯で知らせてくれるよう由岐中さんは頼み、僕たちは角筈(つのはず)署に向かった。
引き当たりが終わるともう夜になっていた。
ファミレスで食事をとっているところに、鑑識から連絡が入った。
「農薬だそうだ、ご丁寧に匂いでばれないよう、脂身に包んで埋め込んであったと」
カツカレーを食べながら由岐中さんが報告する。
「これからどうしましょうか……いっそ、大坪家に乗り込んで」
勢い込んで僕が言うと、由岐中さんは「証拠も何もないのに、大坪社長がおれたちに真相を話すとは思えないな」と否定する。
「それより……これからおれはとある場所へ行く。
 おれ一人で行くべきだと思うんだが……」
「どういう意味です?」
「あのな、ダイスケ、現場の警察官てのは色んな意味で危険だ。
 非合法と合法の境はグレイゾーンで、現場ではどうしても向こう側に一歩踏み込むこともある。
 一歩間違えれば汚濁にまみれる、という危険と隣り合わせだが、そうしなければ培えない人脈がある」
由岐中さんが何を言おうとしているのかわからない。
「その関係は一度頼ったらずるずると引きずることもある。
 こちらが綱を握っていると思っていたのが、主客転倒になり、いつの間にか自滅していった奴を何人もおれは知っている」
由岐中さんの表情はあくまでも真面目だ。
「それはつまり……違法行為者との癒着、ですか」
「おいおい、身も蓋もないことを言うな」
由岐中さんは苦笑いをした。
「まあ、それに近い。
 だがおれは自分も違法行為をする気はない。
 だからおれの人脈は一回きりだ。
 一生に一度の関係、それを今回は使おうと思ってる」
由岐中さんはぐっと頭を下げて僕の顔を覗き込んだ。
男らしい、きりっとした顔だ、と僕は思った。
「だから、お前は来ないほうがいい」
僕だって警察学校卒業したての新人ではない。
地域課で三年、地元名士の軽微な罪を見逃すことや、パトロール中の脱線などはよくあることだった。
もちろんそれらを「仕方がない」という言葉で片付けるつもりはないが。
「いいえ、一緒に行きます」
きっぱりと僕は言った。
「だいたい僕のしたことは違法捜査ですからね。
 すでにグレイゾーンを越えてます。
 毒を食らわばそれまで、です」
「皿まで、じゃないのか?」
「そうとも言います」
由岐中さんは噴き出し、「よし、行こう」と腰を上げた。


タクシーが停まったのは中野の住宅街だった。
由岐中さんは車から降りると、そっと辺りをうかがいながら歩き出す。
やがて高い築地塀に囲まれた和風邸宅の前に出た。
門は瓦屋根の載った立派な腕木門だ。
僕の田舎の大きな農家には多いが、もう都内ではなかなか見られない。
監視カメラが何台もこちらをうかがっている。
門の前にはなんと有刺鉄線をぐるぐる巻きにした車避けが置いてある。
タクシーの中で由岐中さんは「これから行く」と連絡を入れていた。
一言、二言しか喋らなかったので、隣で聞いていた僕にはまるで見当がつかなかったが、ここまで来て相手が判った。
マルBだ。
それも幹部クラス。
由岐中さんは門の前に立つ。
監視カメラが首を振って僕たちを捉える。
同時に門がすっと内側に開く。
迎える面々はいかにもといった強面の男たち。
僕たちは二列に並んだ組員の間を進んだ。
通されたのはただっぴろい広間だ。
奥のほうは照明が点いていないので、どれだけ広いのか見当もつかない。旅館の大宴会場のようだ。
そう思っていると作務衣を着た丸坊主の男が襖を開け、日本酒の樽を運んできた。
まるで映画のワンシーンだ。
この次のシーンは想像がつく。
たいがい、固めの杯を交わすんだ。
いきなりこれかよ……。
僕は隣に胡座をかいて座っている由岐中さんを見上げた。
まさか由岐中さんは……。
由岐中さんは苦笑いをする。
僕の心配を読み取って「安心しろ、ちょっと尋ねるだけだ」と言った。
「やっと来てくれましたね、由岐中さん」
力強い声が響き、僕は奥の暗がりに目を凝らす。
百九十pもあろうかという体格の良い和服の男が立っていた。
薄茶色の着流しに黒い袖なしの羽織を合わせている。
鰓の張った顎、唇は厚く、鼻柱は骨折をしたのだろうか少し曲がっている。
切れ長の眼に眉は太く左右が繋がりそうに濃い。
髪は短き切ってきちんと撫で付けている。
歳は由岐中さんよりちょい上ぐらいだろうか。
「今関(いまぜき)さん、ご無沙汰だな」
由岐中さんが軽く会釈する。
「いや、私もこのところ道場には足が遠のいていましてね。
 ご存知の通り、何かと忙しくて」
「今関」と由岐中さんが呼んだ男は坊主頭が運んできた座布団に腰を下ろした。
脇息に肘を置くと、鋭い眼で僕を見た。
「こちらは?
 連れがいるとは知らなかった」
「こいつはおれの相棒だ。城崎という」
今関は「ほう」と僕を値踏みするように眺める。
「きょうびはこんなぼうやも刑事になれるんですな」
襖が開いて、パンチパーマが盆を掲げてきた。
上には大きな朱塗りの杯が載っている。
「バカタレ、こちらは清廉潔白な刑事さんでいらっしゃる。
 こんなチンケなものではなくてどうせならドンペリにバカラでも持って来い!」
今関の怒号にパンチパーマと坊主頭は慌てて出て行った。
「今、用意させていますから。それより……」
パンパンと手を叩くと、今度は別の男が白い布にくるまった細長いものを恭しく掲げて入ってくる。
形からすぐ何か判った。
またしても映画のワンシーンが頭を過ぎる。
「由岐中さん……」
僕が囁くと「ちゃんと警察の許可は取っている」と由岐中さんが答えた。
「もちろんですとも、私は単に芸術品として集めているだけですよ。
 クズどもを切るのに使っては、ご先祖様に申し訳ないですからね」
今関は凄みのある笑いを見せる。
「こちらで宜しいですかな」
白い布の下から現れたのは予想通り日本刀だ。
「本物の村正(むらまさ)ですよ。
 私でさえ抜いたことがありません。
 抜けば人を切りたくなると言われておりますからねえ。
 達人と呼ばれるかたがいらしたときだけ、おすそ分けに拝見するのですよ」
今関はつと立つと両手で鞘を持ち、由岐中さんに差し出した。
「私のような邪念のある人間はいかんです。
 由岐中さんのようなかたでないと」
由岐中さんは黙って受け取った。
「そろそろ用意ができたころでしょう、あちらへ」
今関は立ち上がる。
僕たちもあとを追った。
長い廊下を歩き僕たちは広い庭に面した縁側に出た。
灯籠に火が入り、きちんと刈り込まれた松や背の高い椿が照り映えている。
白い玉砂利が光って見える。
「すごい、さすがヤクザの大物ですね」
前を歩く由岐中さんに囁く。
由岐中さんは振り向いて「ダイスケ、お前って本当に天然だな」と首を振る。
先頭に立つ今関が大声で笑った。
僕たちは渡り廊下を伝って離れに案内される。
そこは私設の道場になっていた。
床は板張りだ。
神棚には灯が点り、そこへ今関は礼をした。
道場の真ん中には藁を巻きつけた杭が三本立っている。
「ではお願いします」
由岐中さんは上着を脱ぎ、僕に渡した。
そして真ん中に進み出る。
刀を床に置くと片膝をつき、間合いを計る。
ゆっくりと村正を左手で持ち上げ、つばを切った。
居合抜きだ。
今関は神棚の下に正座し、由岐中さんを凝視している。
僕も由岐中さんの上着を握り締めた。
一瞬ののち、鋭い気合と共に白刃がきらめく。
すうっと白い光は弧を描き、まるで鳥が空を切って飛翔するかのように見えた。
すごい……。
由岐中さんが剣道の達人とは聞いていたが、居合をやるとまでは知らなかった。
さらに、名人の域だとも。
由岐中さんはそのまま村正を高く掲げた。
あれが伝説の妖刀村正……。
僕は灯を反射して冷たく光る刀身に息を呑んだ。
細い刃は僅かに弓なりになって銀色に輝き、それ自体が命を持って発光しているかのようだ。
日本刀の素人の僕でさえ、その美しさに身震いが出る。
前に立っていた杭が真ん中辺りで斜めに切れ、上の部分が床にすとんと落ちる。
僕は溜めていた息を吐く。
かっこいい、と思った。
由岐中さんは片膝のまま刀を一閃し、鞘に収めた。
「素晴らしい……」
今関は感に堪えぬという声で呟く。
目は妖しく光り、唇は僅かに開いて恍惚の表情だ。
「続けてお願いします」
三本とも切り落とすと、由岐中さんは村正を白い布で包んだ。
今関は切り口を調べ、もう一度「素晴らしい」と呟く。
「佐竹(さたけ)流居合抜き、確かに見せて頂きました」
由岐中さんから刀を受け取ると今関は「おい」と呼ぶ。
杉戸が開いて武道袴の男が入って来た。
「片付けろ」
僕たちは今度は十畳ほどの和室に案内される。
そこには酒の用意がされていた。
「まあ、一献どうぞ」
今関は上機嫌でお猪口を口へ運ぶ。
「さて、由岐中さん、何が知りたいのでしょうか」
情報を得るためにしたことだと見当はついていた。
だが随分と変わったやり方だと僕は思った。
「○龍会のことだが」
杯に酒を受けながら由岐中さんは尋ねた。
○龍会? 僕は隣の由岐中さんをそっとうかがった。
指定暴力団の名だ。
この男の所属している組なのだろうか。
だがそうではないらしく、由岐中さんは質問を続ける。
「あそこはオセアニックスターファイナンスという会社と何か関わっているのではないのか?」
「さあ、その名では存じ上げませんが」
今関は由岐中さんの顔を正面から捉えている。
「六本木オークに入っているプライベートバンクだ」
「ああ、なるほどプライベートバンクねえ」
手酌で今関は酒を飲み続ける。
「私も詳しくは知りませんが、○龍会はだいぶ闇金で資金を集めたようだ。
 私らの間ではかなり有名な話ですが……」
一息ついて今関は言葉を吐き出す。
「あそこはマネーロンダリングを盛んにやっているようですよ。
 オセアニックスターファイナンスとの関わりは詳しくは知りませんが、そこを通じて不正海外送金でも企んでいるのではないですかね」
「不正送金……それは確かか」
「もちろん、あんないいものを見せていただいたのですから、私がガセを流すはずもないでしょう」
由岐中さんは顔をしかめる。
「オセアニックスターファイナンスは三流の会社じゃない。
 そんな危ないことに手を貸すかな」
僕もその通りだと思った。
海外送金は最近大変厳しく取り締まられている。
テロ資金を警戒してのことだ。
まっとうな会社が暴力団の資金洗浄に手を貸すわけがない。
それになぜいきなり由岐中さんは○龍会の名を出したのだろう……。
そこまで考えてふと可能性を思いついた。
大坪政彦は○龍会に脅迫されているのではないだろうか。
マネーロンダリングに関したことで。
それを拒んだために紗耶香母娘に危険が迫ったのでは……。
きっとそのことを由岐中さんは独自の調査で?んだのだ。
紗耶香が夫に相談できないのも納得が行く。
父親が暴力団に脅されているなど、政治家を目指す卵にとっては致命的なスキャンダルだからだ。
でもなぜ脅迫されてすぐ警察に届けない?
 自分にも後ろ暗いところがあるからなのか。
僕は杯から酒を啜りながら考えをめぐらせた。
セルシオが頭を過ぎり、さらに塩路盗犯係長の言葉が蘇る。
宇津木紗耶香は父親のベンツで車上荒らしにあった……。
すると今関は僕の推理をテレパシーで読み取ったかのように「大坪政彦は何か足元を見られているんじゃないですかね」とにやりと笑った。
隣の由岐中さんが急に膝を立てる。
「そろそろおいとましようか」
「まだ宜しいではないですか」
今関はねっとりとした視線を由岐中さんに浴びせる。
「せっかく来ていただいたのに……もっと交友を深めようではありませんか。
 宜しかったら、お望みの相手をおつけしますよ、今夜は朝まで一緒に遊びませんか?」
由岐中さんはじろりと今関を見る。
「刑事がマルBと一緒に遊ぶわけには行かない」
今関は唇をゆがめた。
「由岐中さん、ご存知のくせに。
 私がどれほどあなたを欲しいと思っているか。
 あなたさえその気なら、私はあなたを大幹部としてお迎えしますよ」
「そっちこそ判っているくせに。
 もうおれがあなたのところへ来ることは二度とないよ」
決然とした態度で由岐中さんは立ち上がる。
僕も続いた。
「今関さん、あなたのような地位にいれば、しっぽを振って寄ってくる刑事など幾らでもいるだろう。
 刑事と付き合いたければそういった連中を探せ」
「由岐中さん……」
今関は心底残念そうに由岐中さんを見上げる。
「あなただから欲しいんですよ。
 人間の心って奴は複雑でしてね。
 手に入らないものが欲しくなるもんなんです」
今関の目はさっき妖刀村正を見ていたときのように危なかった。
「村正に魂を吸い取られるって気持ちが判りますなあ……あの美しい刃に血を吸わせたくなる。
 神々しいまでの存在を汚したくなる。
 そんな欲望があなたを見ていると沸き起こるんですよ」
ぺろりと唇を舐め、続ける。
「言うなれば……誰も汚していない真っ白な雪に足跡をつけたい。
 摘んではいけない花を摘みたくなる……大事なものが他人に汚される前にいっそ自分で壊してしまいたくなる……」
ヤバい。
向こう側に行ってる。
僕の背筋に冷たいものが走った。
今関は由岐中さんを見つめたまま、お猪口を膳に返し、すっと懐に手を入れた。
僕は思わず由岐中さんの前に出て両腕を広げる。
すると今関はひどく楽しそうに笑い出した。
「ぼうや、いいところあるじゃないか」
由岐中さんの顔を面白そうにうかがう。
「こんな可愛い子をボディガードとしてそばに置くなんて、私もあやかりたいもんですね」
「何を言う」
由岐中さんは仏頂面で襖に手をかけた。


外へ出ると由岐中さんは「あいつは義○組のナンバー2だ」と僕に教えた。
義○組、北関東を縄張りにする暴力団一○会の第二次団体だ。
「なぜ知り合ったんですか?」
「おれの親父は剣道の達人でね、居合抜きもやっていた」
佐竹流という居合抜きの流派に所属し、由岐中さんも小さい頃から父に学んだのだった。
刑事になったころは免許皆伝の腕前で、
「日野にその道場があるんだよ……そこに通っているとき、今関に会ったんだ。
 あいつはインテリでね、おれの大学のなんと同窓だった」
そんなことから話をするようになったが、もちろん道場の外では一切関わらないようにした。
「あいつがまた日本刀マニアでな。
 まあ腕は立つし、日本刀剣協会の正式会員でもあるから、自分で真剣を振り回すことはないんだが……」
由岐中が免許皆伝の腕と知ると、一度真剣で居合抜きを見せてくれ、と頼まれた。
「それもかの妖刀村正で、と。
 もちろん断ったさ」
願いをきいてくれればなんでもする、と今関は言った。
一生に一度だけならあるかもしれないな、と由岐中さんは答えた。
「それで今夜……」
「そうだ、あいつに物を頼むのは一生に一度のこととはそういう意味だ」
僕たちは深夜の住宅街を大通りへと歩き出す。
「あのセルシオがどこに渡ったか、調べたんだ」
由岐中さんは言う。
紗耶香母娘を襲ったセルシオだ。
夜逃げをした会社から闇金のカタに取られた、とは聞いていたが。
「○龍会の手に渡り、奴らが乗り回していることがわかった」
「それで……○龍会が大坪を脅しているのではと思ったわけですね」
「ああ。
 紗耶香を襲ったのは○龍会に違いない」
○龍会。
こちらは関西系暴力団門下の第三次団体だ。
かなり手口は荒っぽい。
「毒を肉に仕込んだとなったのなら、もう待っていられない。
 奴らの情報を仕入れるには代紋違いの敵対している組に聞くのが一番だからな。
 それで義○組の今関を思いついたってわけだ」
やはり今朝の事件で、由岐中さんは危機感を持ったのだ。
僕はさっき考えたことを歩きながら由岐中さんに話した。
「で、あのベンツ荒らしのことを思いついたんです、確か盗られたのはパソコンですよね」
僕の頭にあったのは、青梅まで聞き込みに行ったネット絡みの事件のことだった。
「あの中に個人情報が入っていて、それをネタに脅迫されたってことはないでしょうか」
由岐中さんは否定の仕草で首を振る。
「どうかな、投資会社など情報漏洩には充分警戒しているはずだ。
 しかも富裕層相手のプライベートバンキングだぞ、会社のコンピュータには何重にもセキュリティをかけているだろう。
 モバイルパソにそんな重要な情報を入れているとは思えない」
それもそうかも、とちょっと僕はがっかりする。
せっかく推理したのに。
「まあ、とにかく……」
由岐中さんの言葉が途切れ、足が停まる。
はっと僕は顔を上げ、目の前に屈強なスーツ姿の男が四人ほど、立っているのを見た。
顔つきは険しく、僕は独特の自分と同じ匂いを彼らに感じる。
「……ショカツだろう、首を突っ込むな」
年かさの男がぐいと一歩前に出る。
「しかも強行だろ、おれたちの邪魔をするんじゃない、いいな」
太縁の眼鏡を掛け、いかにも柔道の猛者といった潰れた耳の男が歯を剥き出した。
「強行落ちのくせしやがって」
はっと由岐中さんが息を呑む。
その腹に大きな拳が叩き込まれた。
「先輩!」
僕は相手に向かって行く。
すると顎に激しい衝撃を受け、膝から力が抜ける。
こらえきれずに道にしゃがみ込む。
支給靴の硬いつま先が腹に入った。
胸倉を?まれ、引き起こされる。
「まだお寝んねは早い」
なんだよ、ヤクザよりよっぽど手荒い。
二発ほどアッパーカットを食らい、血の味がした。
背後から羽交い締めにされ、腹にも拳を食らう。
これはきつい……。
吐き気が込み上げ、僕は盛大に吐いてしまった。
「くそっ、靴を汚しやがったな!」
罵り声が上がり、僕は突き飛ばされて道に寝転がった。
「舐めて綺麗にしろ!」
腹を両手で押さえ、硬い靴で蹴られるのを堪える。
ふいに暖かな重しが上に載り、薄目を開けた。
由岐中さんが大きな身体で僕を庇っている。
「せ、せんぱい……」
「しっ、身体を丸めてろ!」
僕の顔のすぐ傍に由岐中さんの顔がある。
由岐中さんの息遣いを感じ、僕は胸が熱くなった。
男たちはしばらく蹴っていたが、やがて満足したのか「これで懲りたろう」と残して去っていった。
由岐中さんは僕を助け起こした。
「ダイスケ、歩けるか?」
「はあ、なんとか……そ、それより先輩は……」
由岐中さんのほうは全然こたえていないようで、ぴんぴんしている。
由岐中さんに肩を借り、歩きながら僕は「本店の連中ですか」と尋ねた。
「だろうな、おれのことを『強行落ち』と呼んでいたからな」
苦々しい響きに僕は由岐中さんの顔を覗き込む。
強行落ち。
花形捜査一課からついていけずに格下げになった刑事を呼ぶ侮蔑的表現だ。
僕は腹が立ってきた。
由岐中さんは上司とそりが合わずに、ショカツに回されたのだ。
本人に落ち度はない。
「にしても、どこの課ですか。
 ああ、今関を張っていたのなら四課ですかね。
 あそこはガラが悪いから、先輩、気にすることないですよ」
顔を強張らせている由岐中さんに一所懸命気を引き立てようと僕は話し掛ける。
「それにしてもあんないきなり殴りかかるなんて、ショカツの僕たちが先走ったと勘違いしたんでしょうね、きっと」
本庁のヤマを邪魔したと思われたのだ、と僕は推測した。
「マル暴の連中のやりそうなことですね」
だが由岐中さんの表情は冴えない。
「もういい、ダイスケ、それよりお前のその顔、なんとかしなくちゃな」
「そんなひどいですか?」
「ああ、綺麗な顔が台無しだ」
確かに顎も痛み、視界が狭くなっているので多分瞼も腫れているのだろうと想像する。由
岐中さんの顔はどこもなんともなっていない。
ちょっと僕は情けなくなった。
由岐中さんが庇ってくれなかったら、肋骨の一本でも折られていたかもしれない。
「同朋にやられるなんて、面目ないです」
「いや、どうもくみしやすいと思われるほうに集中したんじゃないか?
 おれはあんまり痛めつけ甲斐がなさそうに見えるからな」
由岐中さんは微笑んで僕を支える腕に力を込める。
「身内にやられたんじゃ警察病院へ行くわけにもいかないな、おれのところで手当てしてやろう」

・・・HOME・・・BACK・・・NEXT・・・